差別と区別の違い

自分がセーフだと思っているものが「区別」で、自分が気に入らないものが「差別」。これ以外に2つの言葉の使い分けられ方を説明する方法はないと思う。どちらも「対象の性質に応じて、扱いや評価を変えること」という意味であることには変わりがないのだから。

「差別」と「区別」という物体が存在するわけではなく、あくまでこれらは行為を解釈する言葉なのだ。解釈する側が好き放題にレッテルを貼ることができる。イスラム国がやる暴力は「テロ」で、アメリカがやる暴力は「テロとの戦い」になるのと同じだ。

「これは差別だ」「いや区別だ」みたいな議論は、そりゃあ不毛になるわけだ。実質的に「おれは好きだ!」「いや嫌いだ!」と言い争っているわけなのだから。

そもそも僕たちは差別をせずに生きていくことは不可能だ。僕は男性と女性を差別している。男子更衣室と女子更衣室が分けられているのを差別ではないと言い張るのは難しい。それはセクシュアルな問題だと言い張るのなら、イスラムの女性がベールを被るのも差別ではなくなる。女性だけおっぱいがテレビに映らないのも同じだ。

同じように、年寄りと子供を差別している。家族と他人も、友達と他人も、妻と子供も、日本人と外国人も、すべて差別している。

不当な扱いをしなければOKという考え方も極めて曖昧だ。目の前に飢えた2人の子どもがいて片方にパンを恵んで、もう片方に恵まないというのは、差別ではないと言えるだろうか? 両方にパンを与えたとしても、同じ街に住む何万人の子どもたちはどうするというのだ? 隣の国は? そもそも人間だけに絞っていいのか?

全員に同じ扱いをしようと思うなら、僕は誰にも何もできなくなる。

僕たちは全員、差別をしているし、区別をしている。まずはこれを認識するべきだ。

そうすれば「これが差別かどうか?」というくだらない議論で時間を無駄にすることはなくなる。本来考えるべきは、そこに苦しみや悲しみが存在するかどうかだ。

苦しみや悲しみがあるなら、無条件で手が差し伸べられるべきだと思う。それが差別に由来するものなのかどうかなんて、どうでもいい。

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