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インテリ目指して引用マウント合戦

PSYCHO-PASSの映画を観る前後から、僕の中でPSYCHO-PASSブームが来ている。アニメの1期から見返したり、過去の映画を観たり、脚本家のインタビュー記事を読んだり。

PSYCHO-PASSの魅力の1つに、やたらと文学や哲学を引用してくるという点がある。ニーチェやフーコー、パスカル、オルデガ、プルースト、ディック、コンラッドなどなど。これがとにかくかっこいい。

1期の名シーンに、敵キャラの槙島聖護がパスカルの『パンセ』を引用してそれの返答として狡噛慎也がオルデガの『大衆の反逆』を引用するというシーンがあった。そのシーンがあまりにカッコ良すぎたため、僕はその後パスカルとオルデガを読んでしまった(いつパスカルを引用されてもオルデガで返す準備はできているが、まだそのシチュエーションは訪れていない)。

今では僕はそこそこ読書家になったわけだが、恥ずかしながらその最大のきっかけはPSYCHO-PASSなのだ。槙島聖護や狡噛慎也のように知的に会話してみたいという衝動が僕を読書に向かわせた。

とは言え、こんな風にファッション感覚で文学や哲学を読むのはいかがなものか?という罪悪感も少なからず感じている。が、その罪悪感を和らげてくれるインタビュー記事に出会うことができた。

なぜ引用シーンを描くのかを、PSYCHO-PASSの脚本家が語ったところ‥

まあでも、どうして引用するのかといったら、やっぱり頭いいやつってカッコいい、ってことですよね(笑)。



‥ですよね(笑)



やっぱり、誰しもがインテリぶりたいわけだ。もちろん、あからさまにインテリぶるのはダサいわけで、自然に、息をするように文学や哲学を引用するのがかっこいい。

さらに言えば、それに知識は幅広ければ幅広いほどいい。「当然、この程度の引用など、私の膨大な知識のうちのほんの一部に過ぎませんよ?」という印象を与えることが重要なのだ。そのため、相手の引用が何かを瞬時に気づき、かつ返答する狡噛慎也のオルデガ引用シーンは、かなり高度なテクニックだと言える。

だが正直、狡噛慎也のレベルに達するのは、かなり難易度が高い。オルデガ引用シーンだけではなく、彼は他キャラがフランツ・ファノンや聖書の一節を引用しているのを即座に見抜くし、菊池寛の『恩讐の彼方に』の話題を振られても即座に対応している。奴は一体どれだけの本を読んで、その内容を記憶しているのだろうか。フランツ・ファノンなんて読んだことない(とは言え、あまりに完璧すぎる描写を避けるためか、最新の映画では相手の引用が何かわからず、ググっているシーンが描かれていた。可愛い)。

狡噛に憧れて本を読み始めると、きっとすぐに挫折する。道のりが険しすぎるからだ。そして無理だと悟る。

だったら、好きな知識だけ拾い集めればいいさ。

寺山修司の戯曲『さらば映画よ』(ちなみにこれもPSYCHO-PASSで引用されている)の中で、ボナールの『友情論』が好きでやたらと引用する人物がいた。

こういう『鬼滅の刃』でいう我妻善逸タイプも、それはそれでかっこいい。しかも、そこまで難易度は高くない。1冊の本や1人の作家を読み込むのだ。これはこれで、一点集中型のインテリっぽく見える。

好きな作家や哲学者を1人決めて、やたらと引用するのだ。僕が誰か1人選ぶとすれば誰だろうなぁ。ベタなのはニーチェ、カント、プラトン、マルクスあたりだが、やっぱ僕の好みはベルクソンかなぁ。でも老子とか孔子とかも東洋哲学系も玄人感があっていいし、悩む。

まぁどっちにしろ、引用チャンスはなかなか訪れないのだけどね。noteの中ならできるのだけどね。

頭が良くなることよりも、頭が良いと思われることの方が重要なのだ。生きているからね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!