なぜいまスク水なのか? ─ あるいは、イメージビデオ業界の夜明けについて
■はじめに ─ スク水の苦境について
僕はグラビアアイドルのイメージビデオが好きで、好んで鑑賞している。しかし、同時にスク水(競泳水着含む)好きでもある。
ところが、この2つ。スク水とイメージビデオは、実は相性があまり良くないことをご存知だろうか?
「水着なんだから良いんじゃないの?」と思われるかもしれないが、実はそう単純な話ではない。スク水(競泳水着含む)がイメージビデオ界でどのように扱われるのか、少し見てみよう。
1作品につき、登場する衣装は平均すれば10着ほど。しかし、そこにスク水が含まれることはほとんどない。以下は無作為に僕のコレクションから選んできたジャケットだが、そこにほとんどスク水の姿はない。
なんと6作品を見てみて、かろうじて由良ゆらの『僕のゆらゆらが可愛すぎる件』の1作品のみである。
ほとんどの場合、登場せず、登場したとしても10着ほどのうち1着のみ。かなり稀だ。それに、魔改造されたスク水(詳しくは後述)ではなく、正統派のスク水だと10本に1回登場するかしないかのレベルではないだろうか。
その理由はなんなのか? 単に需要がないだけなのか? いや、そんなはずはない。スク水マニアはかなりの数存在することが予想される。
その証拠に、スク水や競泳水着に特化した写真集のようなものも多数存在している。
suku→bohなるスク水専門雑誌もある。
Googleトレンドで検索数を見てみても申し分ない。一国の総理よりも、検索数は多い。
ならば、イメージビデオにももっとスク水が登場していてもいいはずだ。どのみちビキニや変形水着、下着などのバリエーションも限られている。10着のうち1着くらいあってもいいはずだ。
僕もスク水が見たい。なんなら1作品で2回も3回も見たい。
しかし、それなのに登場しない理由は単純明快。映像として成立しづらいからなのだ。
■スク水の映像が成立しづらい理由
イメージビデオとは、水着姿の女性の身体を1時間も2時間も撮影し続ける営みだ。実に映画1本分ほどの時間である。
映画ならありとあらゆる映像、ストーリー展開で観客を満足させることができるし、AVですら男女の絡みで様々なシナリオや映像のバリエーションを生み出しやすい。しかし、イメージビデオの場合は女性の身体だけを撮影し続ける。
これ自体が1つの狂気と言っていい。ひまわりだけを描き続けた画家のような、行きすぎた職人気質の世界なのである。
監督とグラビアアイドルたちは、衣装やシチュエーションをチャプターごとに変えていくとは言え、1つの衣装、1つのチャプターで10分かそこらは間を持たせる必要がある。
つまりスク水を採用する場合、スク水だけで約10分の映像を成立させなければならない。実を言うとこれが極めて難しい。メリハリのない間伸びした映像になってしまいがちなのだ。
なぜか?
・理由1 谷間が見えないから
イメージビデオの最大の楽しみのうちの1つは谷間だろう。おっぱいが押し付けられたり、よせ上げられたりする動きによって、谷間が強調され、際立ち、女性性の象徴として男性たちを興奮へと誘う。
女性が立っているのか、屈んでいのか、うつ伏せに寝転んでいるのか、四つん這いになっているのか、上から撮るのか、下から撮るのか、手で寄せているのか、手すりや柱で寄せるのか、透明のガラスに押し付けるのか、さまざまなシチュエーション、手法の妙によって谷間は千変万化する。その中で、僕たちはおっぱいを手に取るようなリアルな肌触りを映像から受け取る。
例えば、以下は鷹羽澪『澪づくし』の映像である。
しかし、スク水では谷間が現れることはない。例えば以下の画像。
普通、柱におっぱいを押し付けるときには、巨乳ならずとも深い谷間が現れる。しかし、この場合、全く現れていない。
以下の場合も同様である。
こちらも、おっぱいをちょこんと地面に乗せているシーンだ。普通ならば重力から解放されてリラックスしたおっぱいの質感が伝わる体勢だが、競泳水着ではそれが伝わらない。
篠崎愛ほどの爆乳、かつ寄せ上げ、上から撮影することでようやく薄っすらと谷間が見える程度だ。これでは並のグラビアアイドルではどうしようもあるまい。
もちろん、これはこれで素晴らしいおっぱいの表現ではあるし、興奮する視聴者もいるだろう。しかし、絵面としてインパクトに欠けることは否めず、その結果、制作側がスク水を敬遠していると考えられる。
・理由2 おっぱいが揺れないから
おっぱいの揺れ。これもイメージビデオにおけるエッセンシャルな要素だ。
砂浜を走る。バレーボールやテニスをする。フィットネスをする。縄跳びをする。さまざまな動きでおっぱいが揺らされることで、その重量感や質感が視聴者に届けられる。
こちらも、参考として鷹羽澪『澪づくし』を観てみよう。
しかし、スク水の場合はおっぱいは全方向から締め付けられることで、どれだけ巨乳であってもほとんど揺れることはない。つまり、「揺らし」を狙った演出が初めから選択肢からこぼれ落ちる(そして、おっぱいは全くこぼれ落ちない)。映像をバリエーション豊かに演出したい監督からして、大きなダメージとなることは言うまでもないだろう。
■スク水の供給源の絶滅
実を言うと、技術的な困難にもかかわらず、かつてはスク水の映像は今よりも多数供給されていた。
それは高校生以下のイメージビデオによってである。
かつては存在していた高校生やジュニアアイドルのイメージビデオではスク水は定番の衣装だった。スク水と言えば、やはり高校生以下。そのイメージが彼女たちにスク水を着せていた。
それに、高校生以下の場合はロリコン傾向の強い男性が鑑賞することになるため、そもそもおっぱいの谷間や揺れが求められることは少なく、スク水特有のデメリットはそこまで気にならない。彼女たちは単に水着を着てくれているだけで、ロリコンはそれなりに喜ぶのだ。
しかし、2015年に児童ポルノ法が改正されてから、高校生以下のイメージビデオがほとんど発売されなくなった。今ではAmazonも、DMMも、18歳未満の作品は一切取り扱っていない。
そこで18歳以上がスク水を着る手法が研究され、発展していけばよかったのだが、残念ながらそうはならなかった。単にスク水が消え去り、ビキニの映像だけが業界に残る結果となった。こうして、スク水を観る機会はグッと減ったのである。
そしてスク水への欲望は宙に浮いてしまった。僕たちには、延々と過去に発売されたスク水映像を(2つの意味で)擦り倒す以外に選択肢はほとんどないのだ。
■現在もスク水を活用するケース
とはいえ、今でも全く登場しないわけではない。18歳以上のアイドルにスク水を着せて、上手く表現した作品は少なからず存在する。
では、どのようにこれまで挙げてきたデメリットを克服し、男たちに興奮を届けているのだろうか? そのテクニックを整理していこう。
・テクニック1 乾きと濡れ
スク水マニアでなくても、スク水が乾いているか、濡れているかについては、誰しも一家言持っている。街を歩けばスク水の濡れ具合について談義する男の1人や2人には必ず出会うはずだ。
これは単なる二項対立の世界ではない。濡れている場合は、どの程度濡れているのか。水滴がつく程度か。全面的にか。半身だけか。シャワーでゆっくり濡れていく様がいいのか。あるいはプールにどぼんと浸かって欲しいのか。乾きと濡れの間には無数のグラデーションが存在し、ドイツ人と日本人が虹の認識方法が異なるように、その分類体系は人によって異なる。そして、好みは千差万別だ。
だがいずれにせよ、スク水の魅力を引き出すためには、乾きと濡れのコントラストを利用しないわけにはいかない。
例えば僕の場合。真冬の早朝に、少しずつ大地が黄金色に染め上げられていくような、神秘的な演出を好む。
例えば、西野花恋『美少女学園vol.1』だ。この作品ではシャワーを浴びながら徐々に光沢を帯びていくスク水をじっくり描写することで、西野の身体を表現している。
西野はグラビアアイドルにしては幼い体型であり、スク水を着用することで一層その幼なさが際立って見える。しかし、徐々にスク水が濡れて光沢を帯びていくことで、西野の身体の立体感が際立ち、女性らしさを帯びていく。少女から大人の女性へと、蛹が蝶へと生まれ変わる瞬間を、スク水とシャワーが表現しているのである。
だが、これ自体かなり情緒的な表現だ。コンテキストを理解して鑑賞するのでなければ、なかなか興奮体験にたどり着くづらい。露出度を高めたり、擬似セックスを行ったり、安易な過激化が進む昨今のイメージビデオ界では、その難解さ故に敬遠される可能性が高いだろう。そのため、この演出自体、そこまで多くは見かけない。
実際これはジュニアアイドル系に多く見られた演出である。ジュニアアイドルは、大人の女性に比べて身体にメリハリがなく、スク水を着ればさらに平面的な印象が拭えない。だからこそ、スク水を徐々に濡らして女性らしさを際立たせていくという表現にマッチしやすい。また、そもそもスク水の学園イメージとも整合性を取りやすい(西野はジュニアアイドル出身であり当時のイメージが視聴者の視界に残留することで、より一層「少女から大人」へという演出の効果が高まってみえる)。
・テクニック2 準備体操
そのイメージ上、スク水はほとんどのケースでプールで使用され、海やベッド、その他の場所で使用されることは少ない。そしてプールという状況とも相まって、スク水は「運動」という側面が強調される傾向にある。その傾向を利用して、スク水チャプターの冒頭では準備体操シーンが挿入されるケースは多い。
「準備体操なんて撮って何が面白いの?」と感じる人もいるだろう。しかし、侮ってはいけない。準備体操は、女性の身体を他では見れない角度から描写することができるのだ。
例えば、橋本真帆『魔法をかけて』の競泳水着シーン。
刮目すべきは以下のカットである。
後ろに反り返り腰の体操を行うシーン。このようなポーズをすることは、日常生活においてほとんどありえない。つまり、このアングルの映像を撮ろうと思えば、準備体操シーンでしかありえないのだ。
そして見て欲しい。太ももからおっぱいに向かう曲線の美しさを。よりカメラに近い太ももはその肉感や柔らかさが強調され、くびれの角度も余すところなく表現しつつ、地平線には晴れ渡る8月の亜麻色に染まった山脈のような2つのおっぱいが見える。ハイレグ部分からおっぱいまで一体となった競泳水着だからこそ、境界線のないホールネスな女体として、橋本の存在を捉えることができる。ビキニタイプではこうはいかなかった。
この画像を見ているだけで、彼女に抱きついたときの肌の感覚や水着の匂いまで、感じられてこないだろうか。動画なら言わずもがなである。
他にも、篠崎愛『HOLIDAY』を見てみよう。
腕を上げて体を曲げようとするシーンである。こんなポーズも日常的にはありえない。しかもそれをややローアングルでおっぱいも含めて描写できるのは、準備体操でしかありえない。
このように、あらゆる角度、あらゆる体勢から撮影することができるのが、準備体操の魅力である。そして先述の通り、準備体操のポテンシャルを最大限に引き出すにはスク水が欠かせない。セパレートタイプのビキニは、おっぱいや腹回り、腰、といったパーツに分割してフォーカスする傾向にある。ギリシア哲学でいえばロゴス的な捉え方なのだ。一方で、スク水はレンマ的な捉え方で、全身のホールネスな繋がりを感じ取ることができる。
・テクニック3 バランスボール
意外と多い組み合わせが、スク水とバランスボールである。
学校の体育館で競泳水着をきてバランスボールに乗るという、謎のシチュエーションである。しかし、かつては18歳以下のイメージビデオでよく見られた光景なので、特に違和感はなく鑑賞できる。
特筆すべきは2枚目の画像である。このような体勢はバランスボールを使わなければ実現できないが、お尻からくびれにかけてのラインが美しく描かれていることがわかるだろう。また、この体勢のまま仰向けになれば、今度は太ももや腰回りが強調され、別の種類の興奮をそそる。
これまでにないユニークなアングルとポーズで、女性の身体を表現できるバランスボール+スク水(ここでもホールネスに女体を把握するためにはスク水であることは極めて重要である)は1つの革命だと言える。
・テクニック4 超ローアングル
スク水、というか競泳水着でよく見られるテクニックだ。いや、正直なところを言えば、テクニックと呼んでいいのかも怪しい。
イメージビデオ業界の過激化の流れからか「競泳水着と言えばハイレグでローアングル」という安直な風潮が広まっている。
確かに、競泳水着で露出させるなら股間くらいしかない。それに、スク水とは違い競泳水着には高圧的でお姉さん気質な雰囲気が漂う。変態的なアングルで映像を鑑賞するこちらを上から目線で嘲笑しつつも、それを許されているようなシチュエーションに、M気質を刺激されずにはいられない。
高梨も、普段はニコニコと笑っている場面が多いのだが、競泳水着のシーンでは比較的、冷徹な表情を見せる。僕は過激化の流れには反対派ではあるものの「堪らない」と感じないではない。
・テクニック5 変形スク水という折衷案
はじめに、スク水は谷間が見えないというデメリットをお伝えしたが、そのデメリットをクリアしたのが、谷間部分をくり抜いた変形スク水(競泳水着)である。
谷間を寄せる、あげるといった動作を見せつつも、スク水特有の質感やホールネスも部分的に表現できる。一石二鳥なスタイルと言える。その使い勝手の良さからか、僕の体感では谷間が空いていない普通のスク水よりも登場頻度は多いように感じる。
こういう水着が市場に出回っていることはない。あるとしてもコスプレグッズである。おそらくメーカーの衣装担当がスク水を魔改造しているのだろう。男たちが興奮することを願って、ミシンを操作している衣装担当がどんな気持ちなのか、それを考えるだけでも興奮してくる。
とはいえ、これをスク水と呼んでいいものかは意見が別れるだろう。僕自身はこのタイプは好きなので、好んで鑑賞しているが、やはり王道のスク水を見たいという気持ちも強い。
では、少し考えてみよう。一体どうすれば、もっとイメージビデオでスク水が見られるようになるのだろうか?
■スク水復権に向けて
真っ先に思いつくのは高校生以下のイメージビデオの復活であるが、これは時代の流れから考えると難しい(個人的に雑誌のグラビアやそのメイキング映像には未だに高校生が出ているのが不思議でならない。これらも残念ながら規制されていくと考えてられる)。
となると、18歳以上の女性にスク水を着てもらなければならない。
先述の通り、スク水には他にはない魅力があるとは言え、演出上の制約が大きい。それに、露出度や疑似セックス至上主義とも言える今のイメージビデオ界の風潮において、風光明媚なスク水を嗜むような趣のある男性は減っていることだろう。
だからこそ、前回の記事にも書いた通り、イメージビデオ界には評論家が必要なのである。
評論家は、映像に潜む侘び寂びを鑑賞し、その魅力を咀嚼し、感謝の気持ちを右手に込める。イメージビデオ評論家は、受動的な消費者であってはならない。プルーストが紅茶に浸したマドレーヌから少年時代が呼び覚ましたように、映像から女性の柔らかさや匂い、抱きしめた感覚を引き出し、女体とそれを取り巻く世界を自分の中に育てていくという能動的な存在であるべきなのだ。
過激さというカロリーの塊であるジャンクグラビアばかりを摂取する不健康な鑑賞者ではなく、そこに込められた女体に対するリスペクトや表現力を読み取る鑑賞者が育っていけば、監督やグラビアアイドルの方も、そのニーズに応えるべく表現力を磨いていくことだろう。
鑑賞者も成長し、制作側も成長し、良いフィードバックループを育てることで業界全体を向上させていく。そうすることでスク水にも自然とスポットは当たるはずだ。
もちろんビキニにはビキニの魅力があり、レオタードも、ランジェリーも同様だ。だが、毎日そばを食うよりも、明日はうどんを食った方が豊かな人生である。
■個人的なスク水へのノスタルジーについて
そもそもここまでスク水について語ってきた僕だが、なぜスク水が好きなのか?を説明していなかった。
一般にスク水好きの男性とは、学生自体のノスタルジーで興奮しているという印象を持たれがちである。
※このサイトでも似たような説明がなされている。
しかし、僕自身、中学校・高校では水泳は男女別であったし、当時から特別スク水に興奮していたわけではなかった。それに、当時はどちらかと言えば同級生の女子たちにはあまり興味を持っておらず、ただただ雑誌や動画の中にいる女性たちに興奮していた。
とは言え、時代は2000年代後半である。今となってはグラビアアイドルは20代以上が主流だが、当時はジュニアアイドル全盛期として知られている時期であり、高校生や中学生、小学生すら普通に雑誌のグラビアやイメージビデオに登場していて、むしろ10代がグラビア界の中心に鎮座していた(いまは20代後半のデビューや30代以上のグラビアアイドルも珍しくないが、当時は30歳を超えて活動するのはほしのあきくらいであり、10代のデビューがほとんどで、20代でのデビューすらも珍しかった)。
そして先述の通り、10代の作品にはまだスク水が多かった。しかし、当時はスク水に対する特別な思い入れなどなく、多くある水着の1つと認識していた。
さて、時代が映って現代。ビキニは普通に観られるのに対し、スク水は希少になった。ならばスク水に対する想いがどんどん強まっていく運命から、誰が逃れられるというのか。
つまり僕は学生時代の同級生にノスタルジーの感情を抱いているわけではなく、学生時代に雑誌やDVDの中で見たスク水にノスタルジーの感情を抱いているのである。
■スク水の魅力
ノスタルジーによって下駄を履いているものの、やはり学生時代の僕を興奮させるだけの魅力をスク水は元来備えているはずだ。では、それはなんなのか?
やはり、ここまで書いた通り、女性の身体を全体として捉えるホールネスの感覚だろう。女性の女性らしさを1枚の素材(厳密にいうと違うが、そのように感じられる)で包み込んでいる様子は、おっぱいはおっぱい、お尻はお尻として認識するビキニタイプとは異なる思考フレームで女体を認識させてくれる。
ビキニの動画では、おっぱいを揉む、おっぱいに顔を埋めるといった個別に分断された印象を呼び起こすことになるのに対し、スク水の場合は全身で彼女を抱きしめて感じ合うような印象を受けとることができる(全裸であってもビキニ同様、ヘアーや乳首といった特定の部位に認識が集中し、映像を見るだけでは女体全体を認識することは難しい)。
他にも、濡れと乾きのコントラスト。光沢によって明確化された立体感。女体の形を明確に把握するには、スク水以上の衣装はないだろう。
(だからと言って、太ももまで覆われたスパッツタイプは好きになれないのである。その理由は専門家の間でも議論が行われている段階であり、本稿で詳細に触れることは避けたい)
このように、スク水は独自性を持ちつつ、かつ高いレベルで女体を想起させる、高いポテンシャルを秘めた衣装だと言える。
■おわりに ─ スク水は性心を映す鏡である
もちろん、僕だって普段からこのようにいちいち理由を考えながら興奮しているわけではない。スク水を見るだけでなんの考えもなしに自然と反応してしまうのである。しかし、やはり理論化し、構造化することで、興奮はさらに加速し、よりよい鑑賞体験が可能になる。
これは料理を味わうこと、映画を観ることなどでも同様だろう。何も考えずに食べてもフランス料理は美味しいが、食材の品質やレシピの伝統、シェフの工夫について考えを巡らせることで、より味わい深い体験ができる。映画も同様で、キャストや監督、オマージュ元といったコンテクストへの知識と考察が、映画をより面白くする。
しかし、そういった鑑賞能力の高いユーザーがいなければ、ジャンクフードのようにわかりやすい過激さを求めた作品ばかりが横行する。いまは、まさにそのような状況にある。
もちろんイメージビデオは小さな市場で、それほどまでの文化的発展は見込めないかもしれない。普通の人はAVを見るのだから。しかし、イメージビデオはAV以上に女体の魅力を引き出す営みであり、文化的に高いポテンシャルを秘めている。
日本は茶器1つに城以上の価値を与えていた国であり、かつては、田舎の農民すら俳句を嗜んでいたという。僕たちは、日常のさまざまな場面に美学をもち、花鳥風月を風光明媚に楽しむことができる民族なのだ。茶道、華道、禅、その系譜に連なる新しい芸術の表現が、イメージビデオであり、スク水である。
スク水は精神(性心)を映す鏡である。谷間や揺れといった表現をあらかじめ禁止されているからこそ、新たな表現や新たな鑑賞方法が創造されていく。それは自分の性と心に向き合うクリエイティブな営みである。クリエイティブには禁止が欠かせないことは、芸術家でなくとも誰しも理解しているだろう。
残念ながら、数少ないスク水作品では、単にスク水を着せただけでビキニと同じような動きをさせる作品も多い。スク水の表現という意味では、かつての文化的資産はほとんど途絶えてしまった。
しかし、明けない夜はない。黄金の太陽が大地を染めていくような、シャワーを浴びるスク水が光沢を帯びていくような、スク水の夜明け(Dawn of Sukumizu)は必ず訪れる。
それこそが美しい国ニッポンにおける最高の文化表現である。世界に向けて堂々と胸とテントを張り、スク水とニッポンの美しい未来へと歩き出すことこそ、僕たちの使命だ。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!