コロナを終わらせる一言
しれっとCocoaが機能停止していた。誰もが「あぁ、あったなそんなアプリ」と感じていたことだろう。
ワクチンの在庫を捌きながら、コロナを無かったことにするために、ここ1年くらい日本政府はあれこれと策を巡らせてきたようだ。しかし、どうにも的を得ていないという感覚が拭えない。童貞が女の子をデートに誘おうとするような回りくどさがある。
「いやごめん、コロナとかもう風邪だわ」と「ワクチン、しょうみ意味ないし余ってるやつ捨てよ」と、たったこれだけの言葉を岸田文雄が言うだけで、恐らく兆単位の税金が節約できたタイミングがあっただろう。それは去年あたりのどこかのタイミングで、すでにそのタイミングは過ぎ去っている。
もし、岸田文雄が勇気を持って言葉を発することができていたなら、ワクチン対応に追われていた医療従事者や公務員たちは家族とゆっくり過ごす時間を得られた。接種券を郵送するために使われたガソリンと紙は、かわりに実家へ孫の顔を見せるための帰省や、恋人へのラブレターに充てられたかもしれない。
100年後の歴史の教科書には、せいぜいスペイン風邪レベルの記載にしかならなそうなコロナは、きっと僕の孫世代にとっては、受験勉強の躓きの石になる。「え? ウイルス? そんなんあったっけ? うーん‥インフルエンザって書いとこ!!!」とか、きっとそんな扱いだろう。
もしかしたらそのとき、僕の孫はマスクを着用しているかもしれない。そうだとすれば最悪だ。岸田文雄はそろそろ「ごめんマスク意味ないわ」という一言も発してほしいものだ。それだけで膨大な資源とストレスが節約できる。
もしかしたら、それらの一言がきっかけで辞任に追い込まれるかもしれない。しかし間違いなく言えることは、彼が辞任しなかった世界線で行うあらゆる政治活動よりも、辞任前提でいくつかの言葉を発する方が、日本社会にとって遥かに有益な貢献となるということだ。
そして勇気を持って行動すれば、孫世代の教科書にも岸田文雄の名前が載るかもしれない。一言で茶番を終わらせた珍事件の主人公として。60代になった歴史科の教師は「ワシの若い頃、こんなことがあったんやでぇ」と自信満々に語る。教師のトーク力次第では、面白エピソードとして僕の孫の記憶に残るかもしれない。
残念ながら、そんな事態は起こらないんだろうなぁ。
総理大臣も所詮は与えられた役割を演じる道化に過ぎないのだと、国会答弁を見ていると思う。僕は政治生命を賭けたテロリズム的発言を見てみたい。もし僕が政治家になったら、そういう発言をしてみることにする。たぶん、政治家にならないのだけれど。
たった一言を発するだけで変えられる現実はある。言葉の持つ象徴的機能は強力だ。ラカンあたりにこの辺りの出来事を分析してほしいところだが、残念ながら世界にはスラヴォイ・ジジェクしか残されていない。
そういえば今週金曜日に、グレーバーの本が新しく出る。それを楽しみに、今日もマスクつけて働くよ。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!