ラストエリクサーを握りしめて【雑記】
周りの大人たちの忠告に従って生きるべきか。直感に従って生きるべきか。そんなことに悩み続けた人生を生きてきた気がする。
「もっと働けばよかった」と後悔しながら死ぬ人はいないらしい。「もっと人の言うことに従えばよかった」とも。そんなエピソードなら自己啓発書でも紐解けばいくらでも知ることができる。
(ただし、この手のアンケートは病院や自宅のベッドで穏やかに眠りにつこうとする人に質問されている。人の言うことに従った結果、温かいベッドで眠ることができているだけという可能性もある。人の言うことに従わなかった人は、北風が吹き抜ける路上のダンボールハウスで「もっと人の言うことに従えばよかった」と後悔しながら凍え死んでいるのかもしれない。結局のところ、わからない。それぞれ状況が異なるのだから)
「じゃあ好きなことをやろうぜ!」と言われるだけでできるなら、苦労はしないだろう。「そうは言っても生活があるし、まわりの声もあるし、やりたいこともないし・・・」というのが多くの人々が抱くジレンマだろう。
特に僕のように所帯持ちなら、子どものためにと、四方八方から「やめときなはれ」が飛んでくる。
最近、僕は次のように思うようにしている。
もし、好きにやろうとしてとめられそうになったら、まわりの人たちに「できないなら死ぬ」と伝えてみよう、と。
僕が冗談だと受け止められないような深刻な話し方をしたなら、十中八九、自殺をとめられるだろう。そして、「応援するから死なないでくれ」とかそんなことを言ってくれるのではないだろうか。
言葉を選ばずに言えば、最後の最後には自分の頭に銃口を突きつけて、自分を人質に取ればいいのだ。とんでもなく不道徳な考えではある。やられた方はたまったものではない。だが、それでもこれだけは言える。「死ぬよりはマシ」と。
僕は好きなように生きられないなら死んだ方がマシなんじゃないかという気がしてきた。で、死ぬくらいなら、自分を人質に取って周りを脅しつけたほうがマシだ。死ぬのはその後でも遅くはない。
最終的に訴えることのできる究極手段を持っていると考えるのは、精神衛生上好ましい。辛いとき、迷ったとき、まわりの人に悩まされたとき、自分は自分を人質に取るというカードを手元に隠し持っていることを思い出す。そうすれば、なんだか元気になれる。
ほかにも、「いざとなったら刑務所に入ればいい」とか、「死ぬくらいならFXでハイレバ投資すればいい」とか、「消費者金融で借りれるだけ借りて使いまくって破産すればいい」とか、「自殺するならその前にヘロイン吸おう」とか、そういう極端な状況でどんなふうに過ごすかを想定しておくと、なんだか安心できる。
これらのカードはエリクサーみたいなもので、最後の最後まで使うことはない。そういう人をラストエリクサー症候群と呼ぶらしい。だが、お守りとしてエリクサーがあるのとないのとでは大違いだ。
意外と人生は簡単には終わってくれない。なんやかんやと続いていって、たぶん極端なことはしないまま死ぬことになる。楽にいこう。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!