見出し画像

アナキストがベーシック・インカムを主張するのはどういうわけか?

アナキストであるデヴィッド・グレーバーは、著書『ブルシット・ジョブ』の中で、ブルシット・ジョブを撲滅するための手法としてベーシック・インカムを提案した。

ベーシック・インカムとは、いわば福祉国家の究極形態だ。全国民に対して一定額の金を配り続けることで生活を保障するのだから。絶対的な国家が国民に恵みをもたらし支配する構造、と捉えることは、さほどネガティブな見方でもあるまい。

しかし、ここで疑問がある。アナキストとは、最終的には国家の解体を目論む人々だ。狩に解体に至らなかったとしても、せめて国家権力の弱体化を願っているのである。その発想と、一見すると国家権力の増大を許すベーシック・インカムは矛盾するのではないだろうか?

結論を言えば矛盾しない、と僕は考える。むしろ、アナキズムの思想にこそ、ベーシック・インカムはよく似合うのである。

アナキズムとは権力と支配を否定する思想だ。

権力とは特定の人物やシステムの都合のいいように行動することを強制させられる(ように感じさせられる)力であり、支配とは強制させられている状態を意味する。ではなぜ、本来、いつどこで何をしようが自由である人間は権力と支配に屈服するのか?

究極的には、生殺与奪を握られることによって、である。社長や上司に反抗すれば会社をクビになり死ぬ。労働をしなければ金が得られずに死ぬ。年金や生活保護をもらいたければ国家の指定した弱者の定義に沿って振る舞い、官僚制の儀式をクリアしなければ死ぬ。国家が気に食わない振る舞いを繰り返したら、刑務所に入れられて、最悪の場合は死刑台の上で死ぬ。

権力と支配が存在する場所において、自由に振る舞うことことは、究極的には死につながっている。もちろん、信号無視をしただけで死刑になることはないし、上司にちょっとばかり意見をした程度でクビになるようなこともない。が、それはあくまで死という崖っぷちを遠目で見ながら恐る恐る行うチキンレースである。チキンレースを繰り返す僕のような人もいれば、権力と支配の道徳を完全に内面化するような人もいるが、意識しようがしまいが僕たちは国家や社会に生殺与奪を握られているわけだ。

ではベーシック・インカムとは何なのかを改めて考えたい。アナキズムの観点から見れば、ベーシック・インカムとは権力と支配の根源にある「死への恐怖」を限りなくゼロにする営みである。

金を稼がなくても死なない。生活保護を受けるために国家が認めた弱者として振る舞う必要もないし、官僚制の儀式の操り人形になる必要もない。そして「そんなことをするなら、ベーシック・インカムあげないよ?」などと囁いてくる役人は存在し得ない(それは万人への補償としてのベーシック・インカムの定義に反するからだ)。健康なまま、働かずに、ただ好きなことをして生きるという自由が僕たちの手元に返ってくるのである。

もちろんそれは完全な自由ではない。検察や警察、刑務所がある以上、国家に歯向かえば殺される可能性がある。だが、万人の生活が補償された状況にあって、国家を心の底から憎むような気持ちは芽生えないだろう。いずれにせよベーシック・インカムが導入されれば犯罪率が下がり、警察や刑務所といった国家機構は限りなく削減できるはずだ。もちろん苛立たしい規則を読み上げる禿げ上がった役人も減っていく。

役人たちも被害者なのだ。生殺与奪を握られる世界の中で、せめて安定して死を遠ざけるために地方公務員などというチンケな職業を選んだわけで、好き好んで生保受給者の書類に文句をつけ続けるようなブルシット・ジョブに勤んでいるわけではない。彼らも生活が完全に保障されるなら、好きなことをしたり、人の役に立つことをしたり、人生が素晴らしいと思えることに1日の大半を費やすことができるだろう。

これは完全にとは言わないまでも、アナキストの理想に合致するのである。

国家を解体してボトムアップの相互扶助コミュニティを運営するというのはアナキストの理想だが、正直、現段階では、非現実的に思う。国家や企業はかつて市民の間にあった相互扶助を取り上げて、「全て俺たちに任せろ」と言った。だが、結果はうまくいった部分もあれば、うまくいかなかった部分もある(後者の代表例は育児と教育である)。それでも、僕たちはこの体制に慣れている。いきなり明日「日本国、なくなりまーす!」とか「貨幣経済おわりまーす」とか言われても困るのである。だから、国家による究極の相互扶助としてベーシック・インカムを導入し、それを貨幣経済というシステムの上で運営するのだ。

正直なところをいえば、ベーシック・インカムによって社会がどのように変化し、どのように人々の価値観が変わっていくのかなんて、わからない(少なくとも、価値観が全く変わらないなんてことはあり得ないだろう)。価値観が国家を生み出し、経済システムを生み出しているのだから、ベーシック・インカム僕たちの社会がどのように変わっていくのかなんて、全くの未知数だと言っていい。だが、きっと僕たちにとっていい方向に向かうのではないかと思う。

ベーシック・インカムをやって、何か問題があればその都度、解決していけばいい。仕事を辞めればどうせ暇なのだ。いつか国家や貨幣経済は解体されるかもしれないし解体されないかもしれない。そんなことはやってみないとわからない。だが、可能性としてはありうる話である。少なくとも暴力革命よりも、ベーシック・インカムを経由する方が、アナキストの思い描くユートピアに近づくような気がしている。


1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!