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なんやかんやで生きていく【雑記】

ちょっぴり自分の中で整理をつけるために、暗い話を書かせてほしい。読んでも困るようなことを書くと思うので、ご了承いただきたい。






昨日、祖父が亡くなった。

二月ごろ、結核にかかって手術をして、その後、一度は退院したものの、薬の副作用でどんどん気力を失っていった。退院して電話したとき、「おぉ、元気やから心配いらんぞー」といつもの調子で話していたのが嘘のように、どんどん体調が悪くなって、寝たきり状態となり、再び入院した。お見舞いに行ったときは、ほとんど意識もなく、結局話はできなかった。

祖父は、祖父がつくった会社の跡を僕が継ぐことを楽しみにしていた。僕はその期待に応えて、前の会社を辞め、ちょっぴりだけ祖父の会社(いまは父の会社)で働いた。しかし、すぐに適応障害を発症し(たということになって)、ずっと休んでいる。

僕は多少は仕事が好きになっていたし、やりたいこともあった。でもなによりも父親と反りが合わなかった。休業中に、僕はすっかり仕事へのモチベーションを失ってしまった。で、出版をやろうと思ったのだ。

その話を父親にした。で、祖父にもしようと思ったタイミングで、祖父が結核にかかった。退院のタイミングで父親がちらっと話をしたらしいが、大反対といった様子だったらしい。つぎに僕が祖父に合ったときは、また衰弱しきっていて、話ができるような状況にはなかった。僕が「辞める」だなんていえば、そのままポックリ逝ってしまいそうだったのだ。

そうやってずるずると時間が流れていき、祖父は回復することなくどんどん衰弱し、とうとう昨日亡くなった。八十九歳だった。

祖父は僕や僕の子どもたちのためにいつも尽くしてくれた。遊びにも連れて行ってくれたし、ことあるごとに食べ物をくれたし、祝い事があれば誰よりもたくさんの祝儀を包んでくれた。別に僕は跡取りとしての僕が必要とされていただけで、本当の僕を必要としていたわけではないとか、そういうメンヘラチックなことを言いたいわけではない。どんな想いがあったのかはわからないけれど、祖父がしてくれたことには感謝している。

「あとはお前が仕事してくれるかどうかだけが心残りや」と、最後に話をしたときに言っていた。僕は、ついついはぐらかしてしまったが、ちゃんと話しておけばよかった。結局、僕は後日になってから意識がほとんどない祖父に向かって、まるで届かない場所から弓矢を打ち合う弱腰な兵士のように、恐る恐る本音を放り投げた。あれじゃ空気に向かって話したのと変わらない。結局、祖父とは最後まで本音で向き合うことができなかった。

死の瞬間、なにを感じただろうか。僕が会社を継いでいれば、祖父は一片の悔いもなく天国に逝けただろう。じゃあ、「俺は辞めてもっとでかいことをしたいんだ!」とストレートに伝えていたなら? 納得して、僕の意志を尊重してくれただろうか。それとも声を荒げただろうか。

ある意味で祖父の生殺与奪を握っていたのは僕だった。その事実から逃げなければよかったのかもしれない。僕が「辞める」と伝えてショックを受けるのだとしても、そうすべきだったのかもしれない。擦り切れていくだけの希望と命にしがみつくようにして迫り来る死から逃げ惑う最期を迎えさせるくらいなら、きちんと向き合えばよかった。

後悔のない死などない。自分が死ぬときも、誰かが死ぬときもきっとそうで、僕たちは後悔を山ほど抱えて生きていくことになる。亡くなった祖父の想いはもうわからない。でも、僕は僕で生きていく。なんやなんやで生きていく。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!