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世の中に存在する2種類の人事担当者について

求人広告のライターをやっている中で、膨大な人数の人事担当者と出会ってきた。おそらく100人や200人ではきかないのではないかと思う。

その経験の中で言えることがある。世界の人事には2種類しか存在しない。

求職者をゴミと思っている人事か、人間と思っている人事か。

前者の口癖は「ろくな奴応募して来んわ!」である。「それはお前の会社がろくな会社じゃないからだ!」という反論が真っ先に思い浮かぶわけだが、グッとこらえて考えてみよう。彼に何が起きているのか?を。

彼がろくな奴が応募して来ないと感じているということは、2つの可能性が考えられる。1つ目は、本当に応募してきている奴が、誰がどう見てもろくな奴ではない可能性。2つ目は、まともな人間が応募しているのにもかかわらず、彼が「ろくな奴ではない」と誤認している可能性である。

当然「ろくな奴」の客観的定義は存在しない以上、この議論が決着を見ることはないのだが、僕の経験上、彼の言う「ろくな奴」とは過度な期待の上に成り立っている。

誰しも、さまざまな事情を抱えて生きているし、必ずしも守備一貫したキャリアを形成しているわけではない。そうであるにもかかわらず、彼は完璧な人生と仕事への態度、守備一貫したキャリアを求めている。空白期間がないこと。求職者が面接で語る「やりたいこと」と一才の矛盾のないキャリア。一分の隙もない履歴書を提出することは、ほとんど人造人間の所業である。

また、履歴書の送付に少しばかり時間がかかったり、字が汚かったりすることは、プライベートや現職の事情によりやむを得ない部分もある。面接の場におけるちょっとしたコミュニケーションエラーや、何気ない一言で「やる気がない」「能力がない」と解釈することは常に可能だ。それに、求職者はたくさんの企業に応募している可能性が高く、いちいち募集要項を全てチェックしていないということは日常茶飯事である。それなのに、人をゴミだと思っている人事担当者は、些細なミスをあげつらって「ろくな奴じゃない」と烙印を押す傾向にある(そのくせ、野球部だったという共通点くらいで即座に気を許してしまい、のちに後悔するのも、前者の人事の特徴である)。

なぜ、彼はそのような態度をとるのだろうか?

それは、求職者を陥れることで、自らの有能性を周囲にアピールしたいという感情が存在しているからではないだろうか。

そして、僕自身の印象からすれば、そのような人事担当者は、そうではない人事担当者と比べて無能である可能性が高いと感じている。自分の能力がないことを、他人のせいにして、自分のポジションを確立してきたと考えれば、辻褄が合う。

逆に、求職者を人間だと解釈するタイプの人事は、細やかなミスやキャリアの矛盾について気にすることはない。「そういうこともあるよね」で済ますのである。僕から見れば、彼は有能であるように見える。

もちろんこれは僕の仮説であり、感想である。だが僕は膨大な数の人事担当者と共に求人広告ライターとして仕事をしてきたわけだ。その人物が有能であるか無能であるかを判断する材料はいくらか持ち合わせている。例えば、求人を制作して納品して掲載するプロセスがスムーズであるかどうかや、不備を指摘される際も的を得ていかどうか、そして肝心な採用に成功しているかどうかといった材料である。その上で、総合的な観点から判断して、前者は無能であり、後者は有能である傾向にあると感じているのだ。

残念ながら、人事が無能であるか有能であるかは、その会社がいい会社かどうかと相関するとは限らない。僕たちには結局わからないのである。しかし、多くの人が人事が有能である会社で働きたいと感じるのは、事実だろう。

僭越ながら、世の人事担当者には提言したい。人をゴミ扱いするのではないと。僕もあなたもどのみち完璧な人間ではないが、それでも人には何らかの能力や魅力がある。

人のいいところに目を向けている方が良い結果となるのだ。そうした方が良いよ。本当にね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!