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『14歳からのアンチワーク哲学』が刷り上がりそうなのはいいものの・・・【出版社を作ろう】

月末には本が刷り上がる。二千冊である。

が、販路はいまだに考え中である。ネットでは一応買えるようにしているが、それだけではさほど売れないだろう。そして、並べてくれる書店は見つけていない。見切り発車にもほどがある。やべぇよ

とはいえ、僕は本を売りたいのであり、本を読んでもらいたいのである。

そのためになにをしようかと、考えているところである。いや、考えるのが遅すぎるが、ディスコ―ドのメンバーとも相談しながら、いろいろと考えている。

ぼんやりとアイデアは出た。なんかいろいろと試してみたいと思っている。自分の中で整理する意味でも、ちょっとアイデアを羅列してみようと思う。


■出版記念アンチワークパーティ

とりあえず、パーティである。といっても、ホテルの大広間を貸し切ってケータリングを用意するような、ブルジョアチックなものではない。だだっ広い河川敷や公園で、適当にブルーシートを敷いて、好きに食べ物や飲み物を持ち込んで、自由に人を呼んでくる。参加費は無料で本の購入も自由。買いたい人には、そこで本を買ってもらう(あわよくば、焚火をやる)。そんなパーティである。

この前ニートマガジンでその小規模版のようなことをやったわけだが、自分が持ち込んだ食べ物や飲み物を味わってもらうのは、楽しいし、嬉しい。コミュニティに参加できることも、嬉しい。これ自体が貢献欲の発露であり、アンチワーク哲学を体現するプロジェクトになる。

書いているうちに、やりたくなってきた。楽しそうである。関東と関西で二回やりたい。うん。これはやるわ。やろう(参加したい人いる?)。


■ニートハウスプロジェクト

これは本を売るという目的とは若干異なってくるわけだが、贈与経済のネットワークをつくりたいのである。

少し説明が必要だろう。僕は「ニートは人格者である」とか「ニートは勤勉である」などと主張し、労働から離れることの重要性を無責任にも訴えてきた。その一方で、現時点では労働なき世界は実現しておらず、彼らが単に労働をやめたところで、路頭に迷うか、いつ終わるともわからない生活保護窓口との国境紛争を繰り広げる羽目になる。

その解決策としては、山奥ニートや箱庭プロジェクトといった村づくり系のコミュニティが存在する。しかし、僕自身がそのようなプロジェクトに着手するのは、地域や家族、住まいのことを考えればむずかしい。そして、おそらく同様のジレンマを抱える人は少なくないだろう。

では、インターネットでコミュニティをつくればどうか? 悪くないものの、リアルのコミュニケーションと比べてできることがあまりにも限られてしまう。

これらの問題を解決できるのが、ニートハウスプロジェクトである。

ニートハウスのメンバーは、『14歳からのアンチワーク哲学』をパスポートにして、ほかのニートハウスメンバーの家に行く。そして、ニートハウスのメンバーはただ飯を食わせてやるのだ。あわよくば宿を提供する。お金はそこに一切介在しない。ただ、貢献欲の発露によって、客人をもてなすのである(もちろん、誰でも彼でも受け入れる必要はない)。

たった一日ただ飯にありつけるだけでは、労働から完全に逃れることはむずかしいだろう。それでも、一時的な避難所にはなるだろうし、人生相談の相手にもなってくれるはずだ。そして、コミュニティへの参加欲は、双方ともに満たされることになる。こうしたコミュニティが存在すること自体が、一つのセーフティネットとして機能してくれるかもしれない。

労働なき世界においては、自発的な貢献の応酬が不可欠である。このコミュニティでは労働なき世界の疑似体験の場、あるいは実験場として機能するはずだ。



ほかにもいろいろアイデアの種はあるのだけれど、もう少し考えてみたい。

もはや本を売ろうとしているのか、コミュニティをつくろうとしているのか、わからなくなってきた。だが、おそらく僕は両方やりたい。というか、本当はコミュニティの方がやりたくて、本はきっかけにすぎないのかもしれない。

アンチワーク哲学のヒントは、おそらく当たり前の日常の中にある。だが、コミュニティの交流の中では、よりその発露を見出すことができるはずだ。そして、骨身にしみた体験としてアンチワーク哲学が当たり前のものとなっていくことで、労働なき世界は形作られていく。

というわけで、なんかいろいろやっていこう。そうしよう。また告知します。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!