人間はどこに消えたのか?

常識を相手に話すのはつまらない。人間を相手に話すと面白い。

人間と出会える瞬間は貴重だ。根掘り葉掘り心のうちを聞いていけば人間が現れることもあるけれど、大抵はその前に常識というワッペンをつけた警備員が立ち入り禁止の札を突きつけてくる。

じゃあ、こちらが心を開けばいいのかというと、そう簡単ではない。うまくいくこともあれば、僕が剥き出しにした人間性が誰にも相手にされないこともある。

そんなこんなで、僕は1日のほとんどを常識を相手にして過ごす。気づけば僕も常識になるのだ。本当はそんな風になりたくないというのに。

常識を脱ぎ捨てて、やりたいことはたくさんある。でも、それは常識には受け入れられないから、ずっと隠していなければならない。

自分を偽ってばかりいると、辛い。本当は「この業界ごと滅ぶべき」とか「住宅ローンを踏み倒して山に行きたい」とか「首相官邸に生魚を投げ込もう」とか「イスラム教徒になってみたい」とか「仏陀のように生きてみたい」とかそんなことを思っているのに。それを実行に移すには、あまりにも常識が重すぎる。

常識は僕のことをイカた奴だと思うだろう。無責任だとも言うだろうし、不道徳だとも言うだろう。常識は、僕がなぜそんなふうに考えたかなんて興味がないのだ。

つまらない。つまらない。つまらない。

通勤電車には、人間の姿は見えない。そこにいるのは常識ばかりだ。でも、スマホを捨てて、スーツを脱いで、会社に向かわずに海でも山でも好きなところに行けば、きっと人間が現れてくるだろう。

僕は人間に会いたい。人間はどこに消えてしまったのか。チーズの行方なんかよりも、僕は人間の行方が気がかりだ。

人間に囲まれていれば、僕も人間になれるだろうか? わからない。とにかく人間に会いたい。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!