SDGsという茶番が持て囃される理由

信じるということがうまく機能するには、それを最終的に保証してくれるなんらかの存在が必要なのである。しかし、この存在はいつまでたっても現れることはなく、つねにずらされ、けっして顔を持つことはない。

スラヴォイ・ジジェク『暴力』

企業のCSRを事細かにチェックし、フェアトレードを行っているかどうかや、CO2の排出量を削減しているかどうかを念入りに確認するエシカル投資家は、まさしくスラヴォイ・ジジェクが言うような「信じていると想定される主体」であり「大文字の他者」だ。

もちろん、大文字の他者は存在しないのだが、彼のような投資家が多数派を占めていると人々が信じるとき、人々はSDGsのピンバッジを身につけ始める。

大文字の他者は、あらゆる情報源をチェックしながらも、いつも純粋であり、企業の広報活動を鵜呑みにして、株を買ったり売ったりする。つまりマヌケなのだ。人々は常にマヌケの一枚上手を自称しており、マヌケを騙すためにSDGsに関する活動報告を企業のHPに記載する。

そして、その記載を見た実在する投資家はこのように思う。「これを見てマヌケ共は投資をするだろう。ならば実際に株価は上がるのだから、私も投資をしよう」と。

株価は常にそのようなメカニズムで動く。ある意味でミイラ取りがミイラになっているとも言える。マヌケを想定する人が、実際のマヌケと同じ働きをするのだから(もしかしたら僕こそがマヌケを信じるマヌケを信じるマヌケなのかもしれないけれどね‥)。

このとき、実際にその企業がCO2を削減しているかどうかは問題にならない。なぜなら、マヌケは企業の広報活動を鵜呑みにすることしかできず「プラスチックストローを廃止しました!」とか「エシカルコットンを使用しています!」とか表面的な広報をみて、あたかもCO2削減に向かって抜本的な改革が行われているかのように信じ込む(と想定される)からだ。

ならば、マヌケを騙す最低限の取り組みさえしておけば(例えば広報誌にSDGsのマークを掲げるなど)、実際に何か行動を起こすことなくエシカル投資を集めることができると企業が考えるのは自然なことと言える。CO2を削減したり、発展途上国の人々に最低限の賃金を支払ったりするのは、めんどくさいし金がかかる。企業はそんなこと、できるならばしたくない。

そうやってマヌケを出し抜いている人々は、暗黙の協定を結ぶ。みんなでCO2を削減しているフリをしていればマヌケどもは騙され続けるのだから、余計なことをするなよ…と。

こうやってSDGsは茶番化していく。それでいて、持て囃される。

あー、くだらね。

本気で持続可能な社会を目指しているなら、涼しい顔で生きていくことなんて不可能だ。それこそパイプラインを爆破する方法を真面目に考案していなければおかしい。

経済成長とサスティナビリティが両立できると言い張るリベラルエリートたちは、非現実的な解決策を求める。再生可能エネルギーを使用し、フェアトレードを実践し、ゼロウェイストを実現しながらも、利潤を上げ続けるという曲芸を世界中の企業が身につけることを求める。原始共産主義を夢見るような、馬鹿馬鹿しいユートピア主義だ。どう考えても現実的ではない。パイプラインを爆破する方がまだマシな解決策のように思える。

そうしてまで経済成長にこだわる理由は、単に左翼的な解決に対するアレルギー反応のように見える。スターリンと毛沢東を嫌悪するように叩き込まれて育った僕たちは、経済成長を否定するというタブーを簡単には犯せない。それは、箸渡しとか、企業説明会にサンダルで参加するとか、そういう感覚のタブーなのだ(僕は「服装自由」を字面通りに受け取り、企業説明会にサンダルで参加して、ゴミのような扱いを受けたことがあるが…)。

僕は経済成長が必要な理由を知らない。経済成長するためには必要もないのに物を作り続け、売り続けなければならなくなるわけだが、わざわざ10億単位の労働力をブルシット・ジョブに駆り立てる必要がなぜあるのだろうか? だったら経済なるものをスッパリ諦めた方が、どう考えても効率的だ。

話が逸れてきた。とにかくSDGsとかいうやつは、そういう非効率的で盲信的なリベラルエリートのプロパガンダの匂いがむんむんするのだよ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!