一貫性をもって予測可能な未来に向かう‥なんてできるわけないのに。

この前、父親に家を買おうと思っているという話をしたとき。「今年の一月には賃貸でいいと言ってたのに、なんでやねん?」と尋ねられた。この質問は、全く意味不明すぎて、答えるに値しないとすら思ったが、とっさに「ラーメンを食べようと思って中華料理屋に入って、やっぱりチャーハンを頼むこともあるやろ」と答えた。そしたら「未来のことを予測できないのは馬鹿だ」と言われた。「馬鹿なら馬鹿で構わんけど、未来なんて予測できるわけがない」と答えた。話はそこからどこに転がっていったか、酔っ払っていたので覚えていない。

僕は「矛盾してる」と指摘されることを嫌っている。「矛盾してますが何か?」という気持ちになるからだ。結論に向かって論理を組み立てる論文ならまだしも、個人の主義主張なんて矛盾していて当然だろう。

例えば、ヴィーガンに対する反論になっていない反論として「農業だって動物を殺している」「植物も苦しんでいる可能性がある」というものがある。大量殺人犯に「電通の広告で商品を買ったことがあるあなたも高橋まつりさんを間接的に殺してるから、人を刺し殺すべき」と言われるのと同じ気分だ。そんなことを言われても僕は直接的には人を殺さない。間接的にはたぶん何人か殺しているだろうが、可能な限り抑えたい。矛盾していようが結構だ。人は常に矛盾しているのだ。人は首尾一貫した主張を持っているべきという考え方は、今すぐに捨てたほうがいい。

結婚式で問われるあの「誓いますか?」も、僕は違和感があった。「100%ってないやん?」と思っていたからだ。「現在の想いとしては未来永劫愛するという気概があるが、保証はできない。」という表現に変えるべきだ。

未来を予測できるなんて馬鹿な考えも、さっさと捨てよう。そんなことは不可能だ。シャーロットカタクリですら数秒先しかわからないのに、覇気を習得していない僕たちに何年も先なんてわかるわけがない。結果を受け入れる覚悟と、臨機応変に対応する柔軟さだけを持って、選択すればいいだけの話だ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!