正月太りと戦う
僕の家庭は少しだけ特殊で、僕の両親も、妻の両親も離婚している。大人になったいま、普段は大して支障があるわけではないが、厄介なのは正月である。妻の母方、妻の父方、僕の母方、僕の父方と、4回も挨拶回りに行くことになるのだ。
大抵、僕の母は旅行に行っていたりするので、1月の2週目になることが多いのだが、他の3者は三ヶ日で回り切ることになる。もちろん、それぞれ孫がやってくるのを楽しみにしてご馳走を用意する。
1日はカニを、2日は牛しゃぶを、3日はフグを。
さて、輪をかけて厄介なのは僕の立ち位置である。僕の子を含めて孫たちはみな3歳か4歳程度。大した量は食べずに遊び回っている。もちろん、もてなす側である年寄りたちはそんなに食べない。妻や女たちも同様である。
にもかかわらず年寄りたちは年に一回の正月に張り切って、メインディッシュだけではなく、サイドメニューも「これもあるけど食べるか?」と次々に出してくる。
女たちはあからさまに「いや、もういらんねん‥」という顔をする。正直、僕ももういらない。だが、良かれという気持ちで料理を出してくれていること、大量の食事が年寄りの自宅に残るであろうことを考慮し、僕は決意する。
ぜんぶ引き受けよう、と。
優しさを受け取ることも優しさであると、僕はこれまでしょっちゅう指摘してきた。だから僕はこうやってできるだけ優しさを受け取ろうとする。
それを繰り返しているとどうなるか? 僕はさながら食べ盛りの男子高校生のようなポジションを確立するのである。
しかし、僕だって30歳を過ぎた男である。昔は細くてキラキラしていた同級生たちも、1人、また1人と太っていくいま、男子高校生のように食べていたならすぐに肉団子になってしまうだろう。
だから僕は正月は昼のご馳走のために、朝晩は完全に抜く。そもそも僕はもともと1日1.5食くらいで過ごしているので、別に苦ではない(0.5食の方も冷蔵庫のあまり食材を腐らさないために食べているようなもので、別になくても問題ない)。
が、それでも多少体重は増える。3日の体重は、朝測ったら65キロだったのに夜測ったら68キロになっていた。ほぼ水分なので、翌朝になれば66キロくらいまで落ちたが、もう1キロは落とさなければならない。今日も晩飯までなにも食べずにいよう。
(ちなみに僕はPSYCHO-PASSの槙島聖護と全く同じ身長と体重を維持することを人生の目標としている。)
僕が40歳になる頃には、息子たちは中学生になる。流石にその頃には食べ盛りポジションは譲りたいものだが、それまで僕は正月のご馳走たちを平らげ続けることだろう。これから今よりもっと痩せにくくなるだろうし、胃袋も縮んでいくだろう。
しかし、チョコザップには通いたくない。食事を抜く。こんなことをしていると「食べないと体に悪い」と言われることがある。しかし、この時代、飢餓で死ぬ人よりも食べ過ぎで死ぬ人の方が多いのだ。多少抜いても支障はあるまい。
僕にとって食事とはエンタメである。朝から晩までアニメを観てたら飽きるように、朝から晩まで食っていると飽きる。たまに狂ったように食べて、しばらく全く食べないのがちょうど良い。
食事至上主義は、アンチワーク哲学のテーマと関連するのだが、その話を始めると長くなるのでやめておこう。そろそろアンチワーク哲学の集大成的な本を出そうと計画しているので、きっとその中で取り上げることになる。
(いつになることやら‥)
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!