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僕は雑談苦手マン

やぁみんな。僕は雑談苦手マンだ。

雑記苦手マンは雑談が苦手だから、空気を読まなくてもいいnoteで空気を読まずに雑記を垂れ流すよ。

おっさんになれば雑談のネタをいくつも仕込んでいるのが普通だと思う。しかし、僕は雑談のネタを仕込まないままおっさんになってきた。

僕は「北海道の家は逆に暑い」とか「中国人は常温のビールしか飲まない」とか「ロレックスは値下がりしない」とかそういう話ができないのだ。

なんでだろうね。わからないね。

おっさん豆知識を並べ立てるおっさんの隣で相槌を打っていると、なんだか自分が何にも知らない世間知らずの坊ちゃんになったような気持ちになってくる。おっさんはなんでも知ってる。まるで羽川翼だ。それに対して、僕はなんてつまらない人間なのだろうか。

おっさんの話を聞くより羽川翼の話を聞いていたい。

いやいや、きっとそんなことはない。僕だって家の本棚にはぎっしりと本が詰め込まれているのだから。きっとおっさんたちは『意志と表象としての世界』も『利己的な遺伝子』も『センスオブワンダー』すらも読んだことはないだろう。

僕だって「お金の価値尺度機能はよく考えると尺度として機能していないのではないか?」みたいな話とか、「唯識論と実在論を掛け合わせる方法」とか、そういう話ならできる。いま、自分の頭の中で話題沸騰中のテーマならね。

だが、こんな話に興味を示してくれる人がいるかどうかはわからない。たぶんいない。

えっへん。僕は低次元の雑談に興味を持たず、高尚な知識を追い求める孤独な天才なのさ。

もちろん、質問責めされていると感じさせない程度に適当に質問を繋いで沈黙を埋めることくらいはできる。これでも30年かそこら生きてきたのだから。

雑談には、雑談のノリがあり、その場に合った話をするのが普通だ。そのため、誰しもが思い通りに話ができるわけではないと思う。そういう意味では僕は孤独でもなんでもなく、ただの自意識過剰なコミュ症なのかもしれない。

もしかしたら、みんな唯識論と実在論の話をしたくてうずうずしているのかもしれない。この社会に孤独でない人間などいないのかもしれないね。

いや、そんなことないか。おっさんはいけしゃあしゃあと豆知識を披露する。自分の話したいことを次々に話している。僕もいけしゃあしゃあと価値尺度機能の話をしてもいいかもしれない。

「正義は議論の種になるが‥」とか急にパスカルを引用し始めてもいいのかもしれないね。スルーされたらされたで勝手に話し続ける。そんな意味不明な奴になろうかしら。

脱・雑談苦手マン。楽しそうな人生だ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!