大きな声で言えないが、進次郎構文が好き
すごい今さらなわけだが、僕は世の風潮に逆張りする習性を持っているので、小泉進次郎が進次郎構文だなんだとdisられているのを見て違和感を覚えていた。
「そんなにおかしなこと言ってなくないか?」と。
例えばこれ。
まぁ一見すると何を言ってるのかわからない。だが、よくよく考えれば別におかしなことは言っていない。
まず小泉進次郎は反省している。が、反省しているように見えないと指摘される。それに対して「いや、反省してるわボケ!」とキレるのではなく、反省しているように見えないと指摘されることも自分の非であると真摯に認め、そのことすらも反省している。ということを言っているわけだ。
別におかしなこと言ってなくないか?
むしろ「誤解を招くような発言をしてしまったことを反省している」みたいな常套句の方に僕は腹が立つ。「誤解をしたお前が悪い」と言っているのだから。
ほかにも、やんや言われている進次郎構文はある。
まぁこれは確かにわかりにくいが、じっくり読み解けば理解できる。
社会的にリモートワークが浸透していったことによって、今まではリモート化が受容されなかったような公務もリモート化しやすい空気が生まれた。ということを言っているのだろう。
確かに最後の一文はほぼ同文の繰り返しなわけだが、普段誰かと話していたらそれくらいの重複は普通に起きるだろう。そんなに目くじらを立てる必要があるだろうか。
次の文は、特に馬鹿にされる意味がわからない。
これは確かステーキを毎日食いたいみたいなことを言って「環境大臣がそんなこと言っちゃダメだろ」的な叩かれ方をしたのに対する反論だったはずだ。
そう考えると、何もおかしなことは言っていない。食べたいと思うのは小泉進次郎の自由だ。毎日食べているのであればそれは環境大臣としては相応しくないかもしれないが、思うのは自由。食べたいからといって、毎日食べているわけではない。あたかも毎日食べてるかのごとく批判が集まったことに対する反論なわけだから、これは一分の隙もないロジックではないだろうか?
これも美しいひねりの効いた言い回しとは言い難いが、おかしいことは言っていない。前後の文脈は知らないが、まぁおそらく地球の環境破壊は今のままではいけないので、それに対処するために、日本は行動を変えなければならない的な意味だろう。
まぁわかりにくいが、ネタにするほどではない。
総じて、進次郎を玩具にしたい一心から、あえて曲解するネットユーザーの悪いところが出ている。
中身がないとか、トートロジーとか、そういうことを言われているわけだが、僕たちの会話の大半は中身がないトートロジーなのだ。特に政治家は中身のある言葉を言う仕事ではない。言葉の象徴的な機能を操作する仕事だ。その点において進次郎は一流とは言えないものの、まぁメディアが悪いよ。メディアが。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!