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本物のnoterなら考古学者になれ

タイムライン型、かつそこそこの文章ボリュームを出せるnoteに毎日投稿するのは、一種の狂気と言って良い。

思いついたままに呟いた一文がタイムラインの底に埋もれてしまおうが、なんの未練もない。だが、何時間もかけて練り上げた1万字越えの大作に、次々地層が折り重なってあっという間に化石になっていくなら、これほど徒労という言葉が似合う状況は滅多にない。

考古学者気質のあるフォロワーさんなら掘り出してくれることもある。たまたま通りがかりに剥き出しになった化石を発見してくれる人もいる。それでも、noteという村で日々を過ごす人々は、わざわざ地層を掘り返そうとはしなくなる。堆積物の上の方にある日々の実りもぎ取っていれば、それで満足してしまうのだから。

これはnoteというプラットフォームが抱える永遠の矛盾ではないだろうか。Xのようなインスタントなコミュニケーションからの差別化と、フィルターバブルに閉じこってコミュニケートできる気軽さとを両立しようとしたnoteは、恐らくこの矛盾から逃れられない。

運営側も、オススメ機能的なものを実装して、騙し騙し解決を図るものの、抜本的な解決に至ることはないだろう(化石noteの中でも人気作は長期的に読まれるが、人気のない化石は永遠に埋もれたままになる傾向にある。「このクリエイターの人気記事」という機能のせいだろう)。

さて、そんなことを言いつつも、僕は徒労を繰り返す狂気の人間である。日々、未来の考古学者のために大作を拵えている。

僕がnoteをはじめたのは単に思いついたことを吐き出して整理するためであった。書いているうちに、落合陽一を崇拝する意識高い系ビジネスマンから仏教徒になってアナキストになってアンチワーク哲学者になった。いま、noteを続けるモチベーションの大半は、アンチワーク哲学の普及にある。

そのため、僕は定期的にアンチワーク哲学に関する1万字越えの長文を書くことになる。僕は極力、それらの記事の中に関連するリンクを埋め込み、化石化を防ごうとする。が、リンクを埋め込む作業も自分自身の記憶に依存している。「あ、あの記事は関連しているな‥」と思い出すのは、最近書いた記事ばかりであり、過去の記事は自分の中でも埋もれていってしまうのだ。

となると、対策は限られる。更新する側が、たまにベスト盤を出すこと。そしてもう1つは、閲覧する側が考古学者になること、だ。

僕はそろそろベスト盤の更新を計画中である。だが、ベスト盤からこぼれ落ちた名作たちも存在することは確かだ。ならば、考古学者が存在することにも期待してしまう。

本物のnoterなら考古学者になれ」というのは格言めいた文章を書きたがる、僕の弱さを象徴したタイトルだ。これは「昔もいいこと書いてるから、時間のあるときに掘ってみてね」という土下座懇願と同じ意味である。

たぶんもう記事数は700とか800になるだろう。だが、『資本論』を読み切るよりは楽なんじゃないかな。

※とは言え、僕はそんな苦労をさせないためにベスト盤を書こうとしているし、本を出すのだ。どちらかと言えば、本を読んで欲しい気持ちの方が強い。そろそろ新しい本も出せそうだ。

さて、ここまではnoteの地べたに這いずる一般市民の自助努力の話である。雲の上から僕たちに恩寵をくださるnote社さまにも、化石化問題にはぜひ取り組んでいただきたい。

例えば、人気記事ばかりをレコメンドするのではなく、あまり注目されない記事も掘り起こすランダムネスをシステムに組み込んでみるなど、である。

即座に人気が出なくても、力を入れた記事は大作は、時間をかけて評価される傾向にある。ならば、例えば記事を投稿するタイミングで、書き手の熱量を裏コードとして入力できるようにする。その裏コードを「いいね」数などと一緒にアルゴリズムへ放り込んで、レコメンドする記事を決定するのだ。

そうすれば、化石化させたくないものは、化石化させずに済むかもしれない。そういうひと工夫を、ぜひお願いしたい。noteポイントみたいなクソダサいことやるより、根本的なサービスの向上を目指して欲しいものである。

余談だが、僕はポイントサービスなるもの全般が嫌いだ。朝三暮四でお得感を演出させられているが、実際はポイントにまつわるブルシット・ジョブのコストもユーザーに押し付けられていて、誰も得しないからだ(ポイントシステムに関するコードを情熱的に書けるプログラマなんて存在するだろうか?)。

それでいて、認知心理学に精通したインテリマーケッターを気取ったコンサルや経営者たちが、ニタニタ笑いをしながらユーザーをパブロフの犬扱いしているような感覚を味わうことになる。実際のところは使い古された常套手段を頼っているに過ぎないのだが、イノベーションをやたらと喧伝する資本主義社会の株主たちは本当のイノベーションよりも使い古された常套手段を好むものだ。なぜなら、使い古された常套手段こそが、最先端のイノベーションであると信じているのが常だからだ。真のイノベーションは、多くの人の目には頓珍漢なアイデアとして映るものである。

(まぁ有料記事購入の心理的ハードルを下げるためにやっているわけで、それは僕たちにとってもメリットになるので、悪口はここまでにしておこう)

話が逸れた。考古学の話だった。

何はともあれ、このプラットフォームはまだまだ使い道がありそうだ。存分に楽しんでやろう。きっと僕たちが本当に掘り出さなければならないのは、noteを楽しみ方そのものなのかもしれない。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!