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誰しもオタクに憧れる世界

『ニーアレプリカント』というゲームをしていると、あからさまな『バイオハザード』のパロディがあった。よくよく調べると、このゲームはゲームオタク向けのマニアックな小ネタを多数仕込んでいるらしく、僕が知らないようなパロディもたくさん登場しているようだ。

それでも、ニーアシリーズはそこそこ売れている。このようなゲームなら、マニアックなオタクしか買わないようにも思えるが、実際はそうなっていないらしい。

『三体』は、SFファンにしか受けないマニアックな設定を打ち出した3作目がきっかけとなりヒットした。一般受けを狙った1作目、2作目では、それだけの達成はできなかったそうだ。

なぜ、オタク向けのマニアックなコンテンツの方が、売れるのだろうか?

そこには、誰しもが「オタクになりたい」「事情通になりたい」と願う人間心理が働いているように見える。

僕の二歳の息子ですら、大人が言った絶対に理解できないジョークを聞いても、周りに釣られて笑う。三体やニーアを楽しむときも僕たちは同様に、「俺は、この面白さわかってますよ…」というワケ知り顔をする。

とんねるずはテレビ業界に楽屋ネタを持ち込んで売れた。人は、理解できないものや知らないものを見たときに、知ったかぶって面白がろうとする習性があるようだ。

詳しくない人よりは、詳しい人と思われたい。そりゃあそうだ。「細かすぎて伝わらない(俺には伝わってるけどねw)」と言いたい。

これが行き過ぎたとき、現代アートのような蛸壺化が起きる。マニア向けのパロディがたくさん散りばめられた結果、いつか新参者の参入障壁が天に届き、世代交代の果てで誰にも見向きされなくなる。ジャズもそうだし、ヒップホップはその後を追っている。

これが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。なんとなく悪いことのような気がする。でも、マニアックなコミュニティでシコシコと仲間内で語り合うのも嫌いではない。

別に、なんでもいいか。

ただまぁ、何かを世に発信するときには「読者をワケ知り顔にさせる」というのは大切な要素かもしれない。最近観ている『リコリス・リコイル』というアニメでは、アニメ内の専門用語が何の説明もなしに使用されることが多い。説明が多い作品は、子ども扱いされているみたいでうんざりする。「みなさんご存知の…」くらいのテンションでこられた方が、オタク扱いされたい僕たちの自尊心がくすぐられる。

小説を書くときは参考にしよう。たぶん書かないけど。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!