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終電を逃して、松本人志について考えた夜

終電まであと5分というところで乗り込んだタクシーが一方通行に絡め取られて駅の逆方向に進んだとき、僕は夜と共に過ごす運命を悟った。

「なんとか電車乗れました!」と先ほど別れた先輩にLINEを送ってから冷静に考えを巡らせる。さて、何をして過ごそうか。

月曜日の夜。大阪の街は週明けの眠気にまどろんでいて、女たちはニコリともしない。どっちにしろ僕には夜遊びの嗜みはないが、それでも華やいだ街の空気を吸って昂りたい気持ちがないではない。少し落胆。

Googleマップで家までの徒歩時間を調べる。5時間ほど。いけるか? いや、いけないか?

それなりに酒は飲んだ。胃袋は重い。瞼も重い。が、とりあえず歩く。歩けるところまで歩く。

人気の消えた商店街。芯まで静まり返ったオフィスビル。真っ黒に光る運河をまたぐ橋。見るからにやる気のない流しタクシー。

1時間ほど歩いた。

ここまでか、というところで宿を探す。カラオケか、ネカフェか、個室ビデオか。とりあえず一番近くの個室ビデオ店に入る。僕はグラビア派で普段AVは観ないのだけれど、せっかくなのでマジックミラー号で素人の女の子が野球拳をさせられるDVDと、その他適当に何枚かをカゴに入れ、チェックインした。

靴とコートを脱ぎ、ソファにもたれかかる。疲れた。でも、眠れそうにない。

とりあえずマジックミラー号のAVを観る。観ながら、なぜ男はAVを観るのかという問題について考えた。きっとAVは、男の支配欲を満たすものなのだろう、と僕は考えた。

AVとは映像の中の女優にセックスを強要する行為だ。セックスの強要とは、身体の自由すべてを相手に差し出させる所業だ。人間は生きていく中で、箸を支配し、自転車を支配し、車を支配し、徐々に自身の影響力を高めていくことで欲望を満たす。他者の支配力‥すなわち権力に欲望を向けた人物は、女を思うままに支配しようとする。

マジックミラー号に乗せられた女の子は、あれよあれよといううちに脱がされていいった。男が欲望するままに。その様子を見て男はシコるわけだ。

しかし、これは所詮は映像でしかない。AVで満足できない男は、映像に登場する男たちと同じく、自らの手で女を支配したいと考える。

ただし僕のような普通の人間にはそれができない。それができる人物とは、松本人志のような権力者であった。彼は金を持っている。金を分配するためのキャスティングに関する発言力を持っている。松本が面白いと言ったなら売れる。彼には女を集めて、ベッドに引き摺り込む権力があった。

しかし、権力はあくまで権力であり、それは相手の意志を否定する行為である。自発的な意志や思いやりによる相互の働きかけが、お互いにとって理想的なセックスであることに疑いの余地はないが、権力によるセックスとは理想のセックスの対極にある。特に支配される側にとってはそうである。故に、支配される側にとっては苦痛と共に思い起こされる経験になる。一方、支配する側からすれば、当然の権力の行使であり、特段ネガティブな思い出にはならない。文春と松本の言い分の差は、こういうところにあるのだろう。

さて、この出来事は松本のふしだらな人格が原因なのだろうか。そうではない。彼は権力を持っていた。権力を持っても女をベッドに連れ込まないのはむずかしい。問題があるとすれば、権力そのものだ。

権力とは、人が人を支配する力である。それは金であり、金の分配を決める力である。しかし、金が権力足り得るのは、金の所有に不均衡があるからだ。誰もが松本人志と同じだけの貯金を持っていたなら、誰も60歳にもなろうというジジイと一夜を過ごそうとは思わないだろう。

そんなこんなで僕はまたベーシックインカムに想いを馳せる。BIがあれば、権力は弱まる。誰しもが最低限の権力(権力の行使を拒否できる権力)を持つことができるのだから。

松本が消えても結果は同じ。スターを生み出すテレビというシステムや、金というシステム、BIのないこの社会は第二第三の松本人志とその被害者を生み続けるだろう。

アンチワーク哲学は、性被害を終わらせるための哲学でもある。あらゆる支配からの解放を目指すからだ。どうやらまだ、アンチワーク哲学者である僕にはやらなければならないことは多いらしい。

そんなことを考えてから、一休みした。が、たいして眠れなかった。時計はまだ3時。始発は5時ごろ。

退屈な夜は続く。なんの権力もない僕には、女を呼びつけることはできない。だが、そんなことをするくらいなら、権力なんていらない。だらしない男が、なぜか女を引き寄せるように、せめて優しさに泣きつくように女を呼びたい。

権力で人を支配することに慣れた人は、権力なしに人を動かす術を忘れてしまう。でも、支配なしでも人は優しさに突き動かされるし、支配するセックスよりも、優しさを分け合うセックスの方が楽しいのだ。そのことを知っている僕は、きっと松本人志より楽しく生きられる。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!