「新しい時代を生き抜く」みたいな表現に違和感

ビジネス書によく書いてある。あるいは経営者やビジネスマンの口からよく出てくる。その度に僕は違和感を覚える。なぜ、「油断したら死ぬ」みたいな想定がされているのだろうか? 「変化できないやつは淘汰される」って、僕は粛清でもされるのかい?

ここ、令和の日本ですよ、と思う。訳の分からないパネルで、訳の分からないサイバースペースに、訳の分からない駄文を垂れ流せるくらいに、人類の文明は発展してきている訳だ。万人の万人に対する闘争みたいな世界ではなく、社会福祉も発達している優しい世界だ。犯罪者でも刑務所で3食飯食って、布団で寝られるのだ。そして、変化できないやつが9割9分なわけだ。9割9分が死ぬってどういう状況?と思うわけだ。

別に正社員の職を失業したっていい。時給1000円のバイトでもフルタイムで働けば月収17〜18万くらいにはなる。子どもがいてもなんとかなるレベルだ。もし、体が動かないなら生活保護がある。万が一貰えないなら、親族を頼ったり、路上で暮らしたり、空き家を占拠したりすることもできるし、適度な罪を犯してわざと刑務所に入るという手もある。借金が嵩んでいるのなら破産すれば良い。何を恐れる必要があるのか。

正直、これは極論だ。ここまでの事態になることは滅多にないと思う。でも、最悪のケースでもこれくらいだ。ならば「生き抜く」なんてほぼ誰でもできることじゃないか。仰々しくビジネス書の表紙に書く必要はない。ありもしない不安に振り回されるのは、もうやめよう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!