意識高い系ビジネスマンとしての僕の愚痴

作家の平野啓一郎は「分人主義」という概念を提唱している。ざっくり言うと「人にはいろんな顔があって当然だよね」という考え方だ。

僕にもいろんな顔がある。ある友達と話す時はアニメオタクになり、また別の友達と話す時は共産主義者になる。良き父親になる時もあれば、生意気な若造になる時もあり、意識高い系ビジネスマンになることもある。

一番最後の、意識高い系ビジネスマンとしての僕は、時間を何よりも大切にし、コミュニケーションコストを嫌う。曲がりなりにも会社員をやっていると、時間あたりの生産性を追い求めずにはいられない。

時間あたりの生産性をKPIに置くと、多少イライラすることもある。

この前、会社の後輩に「ちょっと相談がありまして‥」と話しかけられた。

僕は相談されるのは嫌いじゃない。だが、相談を装った要求は嫌いだ。明確化されない要求はもっと嫌いだ。

具体的に綴ろう。

彼女は僕に書いて欲しい文章があった。その文章を掲載したい日程もクライアントから指示されていた。そこから逆算すれば必然的に、締切日も確定する。

だが、あろうことか彼女は僕の隣のデスクに腰掛けて、「えっと、この掲載日の場合、スケジュールは‥」と、ちんたら計算し始めたのだ。

なぜそれを僕の前で計算する必要があるのか、僕には理解できなかった。締切日が確定しているのであれば、それを計算した上で僕にストレートに伝えるべきだ。なぜ、僕が彼女の算数ドリルの時間に付き合わなければならないのか。僕は個別指導塾をやっているのではない。

そして、長い長い計算の末、そのスケジュールが明らかに非現実的であることがわかる。なぜクライアントからスケジュールの希望を伝えられた段階で計算して、非現実的であることを伝えない?と僕は口うるさい上司のような感想を抱かざるを得なかった。

さらに、彼女からの制作の指示も、極めてお粗末なものだった。

「ベースとなる記事はこれで、ここから多分変わってくると思うので、多分その指示をもらえるはずです」
「つまり、クライアントに対してベースの指示を送り、相違点を指示するようにお願いしているということ?」
「いや、まだ伝えていないです」

つまりほぼ何も確定していない。確定していたのは非現実的なスケジュールだけだ。彼女は制作に必要な情報をほとんど提示できない状態で、「相談」を称して、非現実的なスケジュールを僕に押し付けようとしたのだ。

いつ情報が揃うかもわからないし、そもそも揃うという保証もない。それなのに納期だけ切られてしまえば、着手することすらままならないまま、情報がやってきた途端に即座に完全させなければならないような事態もあり得る。

文字通り、無理な相談だ。

彼女はとにかく空気を読もうとする。婉曲的に表現しようとする。クライアントに対してもそうだし、僕に対してもそうだ。だが僕からすればやるべきことを確定した上で明確に納期を切り、相談ではなく依頼してくれた方がありがたい。どうせやることになるのだから。

ならば‥

掲載日は●日なので●日●時までに仕上げてください。ベースとなる記事の訂正箇所をクライアントから●日●時までにいただく予定ですので、それを見てから着手してください。スケジュールが厳しければ相談してください。

‥と、メール1本送ってくれれば済む。そうすれば彼女の塾講師をやって膨大な時間を無駄にせずに済む。

「人に直接的に依頼することは失礼だし、ましてやメールだけで依頼するのはもっと失礼」という風潮は、確かに存在する。それでヘソを曲げる人もいる。

だが、僕は生産性重視なので、余計な相談で時間を無駄にされる方が腹が立つ。

それに、「人に依頼する(結果、空気のやめないやつだと思われてしまう)」というリスクを犯すことなく、人を動かそうとする卑劣な根性にも腹が立つ。

もちろん、話し合いながら答えを見つけるべき相談も存在する。答えの見えない複雑な問題に対処するときはそうだ。しかし、今回のケースは明らかにそうではない。単純なオペレーションの問題は、無機質に処理するべきだろう。

僕はそもそも生産性という考え方が嫌いだ。そもそも自分の仕事も嫌いだ。だが会社員という人格を持ったときは仕事の生産性を神と崇める。彼女も会社員なのだから生産性を神と崇めているはずだ。神が一致しているならば、お互いのために最短ルートを選びたい。

結果、スケジュールを後ろ倒しにして、クライアントには訂正箇所の指示をもらえることになった。まぁ結果はことなきを得るわけなのだが、なんとも沸切らない。

全く、せめて生産性を信仰しているときは、楽しみたいものだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!