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超入門 猿でもわかるアンチワーク哲学

前の入門講座は1万字超えで、入門の割にハードルが高かったかもしれない。ということで、入門の入門、超入門を書こうと思う。

アンチワーク哲学は難解ではないものの、勘違いされやすい。いつもは勘違いを避けるためについつい長文になりがちである。しかし今回は勘違いを恐れず要点だけをシンプルに書こう(僕が言いたいことがわかるだろうか? 何か批判や反論を思いついたのなら、それはあなたの勘違いということだ)。


・アンチワーク哲学とはなにか?

世界80億の人間が、誰も労働しない世界が可能であることを論証し、実現しようとする哲学である。80億総ニート。失業率100%。GDPは0ドル。そんな「労働なき世界」をアンチワーク哲学は目指す。

普通に考えれば不可能である。誰かが歯を食いしばりながら労働することでこのテクノロジー社会は成り立っていると考えられているのだから。

しかしアンチワーク哲学は、誰も労働せずとも、このテクノロジー社会を維持することが可能であると考える。

なぜそんなことが可能なのか? 順を追って見ていこう。


・労働はなぜ辛いのか?

例えばカフェ店員が仕事の愚痴をSNSにアップするなら、どんな内容だろうか?

真っ先に思いつくのは「休み少ないねん、クソが」とか「あの客ウザすぎやろ、しばいたろか」とか「売上目標高すぎやねん、本部の奴ら◯す」とか「なんでこんな報告書作らなあかんねん、どうせ読まんやろ」とか「店長息くさいねん」とかそう言ったものだろう。

しかし、次のような愚痴を言うカフェ店員を、僕は見たことがないのである。

「コーヒーなんか淹れたくないねん」とか「なんでテーブルなんか拭かなあかんねん」とか「カフェラテ作るのむずかしすぎ、この仕事クソすぎ」といった愚痴である。

ここからわかることは、なんだろうか?

労働が辛い理由は、ドリンク作成やテーブル拭きといった作業そのものにあるのではない、ということだろう。

そうではなく、労働の辛さとは長時間労働や客や上司との人間関係、無意味な報告書作りのような仕事を強いられることにある。

逆に言えば、クレーマーや上司に振り回されることなく、無意味な仕事に煩わされることなく、自分の意志で好きな時間だけコーヒーを淹れたりテーブルを拭いたりする仕事であったなら、人は辛いとは感じない。

そのときに辛さを感じるのだとすれば、「カフェラテを入れるのが難しい」といった類の辛さである。しかし、これは大した問題ではない。間違っても「カフェラテがうまく作れないので自殺します」と通勤電車に飛び込む人などいないのだから。むしろそれは乗り越えるに値する壁だと感られ、人はチャレンジ精神をくすぐられるだろう。

ではなぜ、僕たちは自殺しそうになる類の労働の辛さから逃れられないのか?


・なぜ、労働の辛さから逃れられないのか?

「休み少ないから勝手に週休5日にするわ」とか「報告書とか意味ないやろ」とか「おい、クソ客、お前うざいから二度とくるなよ」とか「クソ上司、息くさいねん」とか、そういった言葉を大っぴらに言う会社員がいたなら、即座にクビになることは間違いない。

多くの人はクビになることを恐れている。クビになれば転職先が見つかるとは限らないし、生活が不安定になるからだ。だから、上司や客の言うことに黙って従う。だから、労働は辛い。

言い換えれば労働が辛いのは生殺与奪を他人に握られているからだ。

しかし、クビを恐れずに済むのであれば、こういった言葉を大っぴらに語り合うことができるはずだ。そして、語り合い改善されていくのなら労働の辛さは消えていくだろう。なぜなら、先述の通り、ドリンク作成やテーブル拭きといった作業そのものが辛いわけではないからだ。

少なくとも、辛さが改善される見込みがないのであれば、即座に辞めてしまえばいい。クビを恐れずに済む状況にあるのなら。

では、クビを恐れずに済む状況とは何か?


・クビを恐れないで済む方法=ベーシック・インカム

人がクビを恐れる最大の理由は、自分や家族が路頭に迷う可能性があるからである。誰も路頭に迷いたくない。ならば多少理不尽であっても我慢する。しかし、先述の通り、我慢しなければならない状況が、労働の辛さを成り立たせている。

ならば、クビになっても路頭に迷わない状況を作ればいい。すなわち全国民に生活に必要な一定のお金を毎月支給するベーシック・インカムである。

ベーシック・インカムさえあれば、理不尽な労働環境やムカつく上司に改善の余地がないなら「じゃ、やめるわー!」とあっさりと辞められる。転職先が見つかろうが見つからまいがお構いなしである。

そんな状況でパワハラを続けられる上司や、理不尽な売上目標を押し付け続けられる会社など存在しない。こうして労働は辛くなくなり、労働であることをやめる。めでたし。めでたし。

※BIについてはこちらも。


・なぜドリンク作成やテーブル拭きは楽しいのか?

と、ここまでが極限までシンプルにしたアンチワーク哲学の解説である。一旦はここまで理解してもらえればいい。

しかしここまでを理解した人なら、次々に疑問が浮かんでくるはずだ。例えば「クビを恐れないのはいいけれど、そうなったらみんながボケっとNetflixを眺めるようになるだけで誰も働かなくなるだけじゃないの?」といった疑問である。

そう言う人に聞きたいのは、「飯を食って、昼寝して、Netflixを観るだけの生活に耐えられるか?」である。

恐らく一部の人は耐えられる。が、耐えられない人が大半だろう。耐えられない人は色々なことにチャレンジするはずだ。家庭菜園や日曜大工を始めたりするかもしれないし、普通に会社で働き続ける人もいるだろう。あるいは金にならないけれど興味のある分野にチャレンジする人も増えるはずだ。

労働がなぜ辛いのかを思い出してほしい。労働が辛いのは「生殺与奪を握る他者に支配され、意味を感じないことに取り組まされているから」であった。

むしろ人は自分が意味を感じたことならば楽しくやりがいを持って取り組める。誰よりも美しいラテアートを描いたり、効率的にテーブルを拭く順番を考えたり、こういった作業が楽しいことは誰もが認めるだろう。あるいは誰かにコーヒーを淹れてあげて、「ありがとう」とか「美味しい」と言ってもらえることは、人にコーヒーを奢ってもらうより嬉しいことに異論はないだろう。

人は誰かに意味のある作業を行って誰かに貢献することを、むしろ欲望している。これをアンチワーク哲学では貢献欲と呼ぶ。

これは食欲や睡眠欲と同等の欲望であるとアンチワーク哲学は考える。24時間睡眠することが辛いように、24時間貢献することは辛い。だが、全く誰かに貢献しないことも、全く睡眠しないのと同じくらい辛い。

まとめよう。人には貢献欲があるから、ベーシック・インカムで生活が保障されても、そこそこ役に立つことをやる。だから、社会は成立すると、アンチワーク哲学は考える。


・別に貢献しなくてもいい

もちろん、朝から晩までゼルダの伝説をプレイする人もいるだろう。そういう人に対して「おい、貢献欲があるだろう? さっさと貢献しろ!」などと言うつもりはない。

そもそもこの社会には無意味な仕事が膨大にあることは疑いようがない。無駄な会議。報告書。プレゼン。クソ広告。飛び込み営業。テレアポ。無意味に複雑な保険や携帯の料金プラン。病院。銀行。役所。こういった内容の愚痴をSNSで見かけない日の方が珍しいだろう。

また、無駄な仕事のために作られるビル。無駄な仕事を効率化するために無駄な仕事を続けるITドカタたち。廃棄される膨大な食糧。服。雑貨。誰が住むのかわからないのに建てられるタワーマンション。

裏を返せば、膨大な人々が無駄なことをやっているにもかかわらず、この社会は成立している。ならば、ちょっとやそっと引きこもる人がいても困らないのである。

まず間違いなくベーシック・インカム下では無駄な仕事から消えていく。誰が好き好んで無駄な仕事をやるだろうか? 全て路頭に迷わないためにやっているのである。ベーシック・インカム下ではこの手の仕事は消えていく。


・労働なき世界ってなに?

さて、これは労働なき世界である。アンチワーク哲学にとって労働とは「他者から強制される不愉快な営み」を意味する。

強制されず、不愉快でないなら、それは労働ではないというのがアンチワーク哲学の主張である。

仮に、「いやいや強制されようが、されまいが、コーヒーを淹れてテーブルを拭くのは労働でしょ!」と定義したい人がいるなら、それはそれで構わない。

いずれにせよ、その労働は本人がやりたくてやっていることなのだ。ならば、なんの問題もない。それが労働か、労働でないかなどという定義問題はどうでもいいのである。

要は、みんながやりたいことをやっている状況を目指している。アンチワーク哲学はそれを「労働なき世界」と表現している。

仮に他の条件が同じなら、みんながやりたくないことをやっている世界よりも、やりたいことだけやっている世界の方が良いことに疑いの余地はない。


・労働したくないは正しい

ここまで見てきた通り、労働が辛いのは無意味なことをやらされたり、支配されたりするからである。「労働したくない」とは「無意味なことをしたくない」とか「支配されたくない」という意味であり「コーヒーを淹れたくない」とか「テーブルを拭きたくない」という意味ではない。

この人のことを怠惰と呼べるだろうか? 意味のないことをしないと宣言する人は決して怠惰ではない。むしろ何もしない方が社会貢献ですらある。なぜなら、無意味な仕事に反抗することは、無意味な仕事を世界から減らすことにつながるからである。

そして、もっと社会貢献するなら、アンチワーク哲学を理解し、アンチワーク哲学普及に努め、ベーシック・インカム実現を目指すことだ。というのは半分冗談で、半分本気である。


※アンチワーク哲学普及を応援してくれるパトロンは常に募集中である。


※もう少し詳しく知りたい方は、わかりやすい本が出てるのでこちらも。


1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!