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人間は頓珍漢な生き物【雑記】

歴史の授業で「ふーん、昔の人ってバカだったんだねぇ」と感じたことのない人はいないと思う。十字軍。魔女狩り。ガリレオ裁判。アウシュビッツ。太平洋戦争。今の僕たちからすれば常識的に、論理的に考えて、頭がイカれているとしか思えない挙動を、過去の人々は繰り返してきた。

そして僕たちは、自分たちはイカれていないと確信している。それは義務教育によって科学的、合理的思考を叩き込まれたからであり、親がカルト宗教の信者ではなかったからだ。だから僕たちは次のように考える傾向にある。

「もし私が過去に生まれていたのなら、十字軍、魔女狩り、ガリレオ裁判に断固として異を唱え、科学と合理的思考による啓蒙を行っただろう」と。

この発想が極端に表れているのは、なろう系小説である。そこに登場する異世界の住人たちは、肉の両面を焼くという単純極まりないアイデアすら思いつかないバカが想定されている。これを中学生特有の黒歴史としてバカにするのが大人の嗜みではある。しかし、アフリカ人を「農業を教えても与えた種を食うようなバカ」と批判しがちなネット住民たちも五十歩百歩である。

僕は以前、「バカとはそこら中にバカを見出す人のこと」と書いた。

要するに、一見すると頓珍漢に見える他者の行動を見て「何か理由があってそうした」と考えるのではなく「バカだからそうした」と考える人を、僕はバカと呼ぶ。

根拠がないわけではない。なんらかの事象があって、そのことを説明する仮説を想像できる人とそうでない人がいたなら、前者の方が頭がいいことに異論はないだろう。「バカだからそうした」はトートロジーであり説明になっていない(「頓珍漢な行為をするのはバカだからである。バカとは頓珍漢な行為をする人のことである」)。そして、他者の行動の理由が理解できたなら、その人がバカに見えることは稀である。ゆえに頭がいい人は、他人をむやみにバカにしないのだ。

そのように考えたとき、「昔の人はバカだった」と結論づけることは、やはりバカの態度であるということになる。もしバカになりたくないのなら「昔の人もバカでなかった。しかし、現代からバカに見える行動をとっていた。それはなぜか?」と考える必要があるのだ。

そして同時に、僕たちが昔の人をバカだと感じるように、未来の人々が僕たちをバカだと感じる可能性にも思いを馳せる必要があると思う。おそらく人間はどんな時代になっても、後世からみればバカだと感じるような頓珍漢な行為に夢中になる生き物なのだ。

では、現代に存在する頓珍漢な行為とはなんなのか? 僕は労働であると考えるわけだが、その根拠はまた別のお話・・・。

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