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病院嫌い集まれ〜

病院でもらった薬を最後まで飲み切ったことがある人は歴史上1人も存在しない。これ、テストに出るので覚えておくように。

薬というのは出してもらうことが目的であって飲むことが目的ではない。少なくとも飲んでなんらかの効果を得るためでもはない。「薬をもらった」「飲んだ」という安心感を得るためだ。まぁ要するにプラシーボだ。

病院も客商売である以上、無意味に薬を欲しがる客に対するクレーム対策として薬を処方する。薬を出さないという選択は医者によっぽどの自信がないとできないはずだ。「これくらいなら薬飲まんでも大丈夫やろ」と言い切ることはむずかしい。もし何かあったときに責任を押し付けられるからだ。ならば症状1つごとに教科書で推奨される2、3の薬を出しておこう、となる。こうしていくつも症状が併発している老人は、10種類も20種類も薬を飲むシャブ漬け状態になる。

教科書通りに処方箋を書くだけなら素人でもできる。しかし、その処方箋には何の魔力もない。医者とは科学信仰の時代に求められるシャーマンだ。シャーマンによる診察、処方箋、薬こそが三種の神器なのだ。

風邪ひいたくらいですぐに医者にかかって薬をもらおうとする病院信者がたまにいる。まるで医者や薬が風邪を治してくれるかのようだ。

(コロナブームの頃、確か厚生省のホームページのQ&Aに「なぜ、治療薬がないのにコロナが治るの?」みたいな想定質問があって、流石に国民を馬鹿にしすぎだろと思ったものの、あながち的外れではないのかもしれない。)

僕はそんなことよりも家で寝ていたい。寝て治らない病気にかかったことがないし、病院に行ったおかげで治る病気にもかかったことがない(と思う)。

そもそも体調が悪いのにわざわざ着替えて病院に行くのは体に負荷がかかる。そのデメリットを補って余りあるほどのメリットが病院にあるだろうか?

無限に思える待合時間。咳き込む僕と周りの人々。こちらの話を全く聞かず、目も合わせず、一方的に捲し立てたあとに「温かいもの食べてゆっくり休んで」と当たり前のことを言った後、適当に薬を出そうとする医者。バタバタと診察室から追い出されて、あとは薬を受け取って帰るだけ。「何しに来てん」と思わずにいられない。

流れ作業。自分の苦しさが伝わっていない。どうせこいつら薬出しとけば満足するやろ、と思われているのが目に見える。

病院で薬をもらったおかげで病気が治ったと思い込むことはできる。しかし、僕はそもそも病院が嫌いで、病院で医者に診てもらうことで何かが解決するとは信じていない人間である。家でポカリを飲んで転がっている方が早く治ると思っている。だから思い込むことができない。

だが病院信者がいると厄介である。例えば前の会社で働いていたとき「体調が悪いから休みます」と上司に連絡したとき、「ちゃんと病院に行きなさい」と言われたことは何度もある。まるで、病院に行かないことは怠慢であるかの如く叱責されるのだ(そうでもない限り僕は病院に行かないのだ)。

そもそも、医者がその辺にほっつき歩いてくれていたら、こんなことにはならないのだと思う。薬を求める病院信者に満足感を提供するための客商売で大忙しな医者は、そりゃあプラシーボ薬の自動販売機と化す。

僕はふらっと道端で医者と話をして、「なんか最近ね〜喉の辺りが調子悪くてね〜」と言って、「そうなん?まぁ別にたいしたことないやろけど、ちょっと見たろか?」くらいのノリで医者と付き合いたい。病院とごちゃごちゃした機械、看護師たちという舞台装置抜きで、1人の人間として僕の相談に乗ってほしい。

僕だって、自分の体に対して絶対的な自信を持っているわけではない。そのうちでっかい病気で死ぬかもしれないという不安感もなくはないのだ。

もちろん、「まぁ、見たけどわからんわw」「わからんのかいww」となることがあってもいい。別にそれで良いのだ。相談できればそれで良い。なんらかの予防につながるならもっと良い。治療はできればしたくない。そんな感じ。

あー、病院行きたくない。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!