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残酷な工場畜産がなぜ起きるのか、考えたことはあるか?

残酷な畜産は法律で規制しなければ!

‥というのもまぁ発想としては悪くないものの、もう少し冷静になって欲しい。

法律で規制しようという考えは、次のようなことを前提にしている。

人は放っておけば、豚や牛を身動きひとつ取れないゲージに閉じ込めて、ボロボロになるまで子を産ませるような悪行に手を染めるのが当たり前だ。だから法律で規制しなければならない。

これは端的に間違っている。誰が好き好んで動物を虐待しようと思うだろうか?

なにも僕は、畜産業に関わる人全員が血も涙もないサイコパスだと言いたいわけではない。彼らもクリスマスには息子にプレゼントを贈り、友人の悩みに耳を傾け、老人に席を譲るだろう。

彼らもふつうなら、残酷な工場畜産なんてやろうとは思わないはず。ならばここでの正しい問いはこうだ。

本来、心優しいはずの彼らが、残酷な工場畜産に手を染めなければならない原因はなんなのか?

まぁ答えは分かりきっている。金を稼がねばならないからだ。

可能な限り動物を詰め込んで効率を上げるのも、賞味期限が残っているのに店頭に並べる前に廃棄されるのも、捨てられる前提でも販売機会ロスを防ぐために大量に仕入れるのも、そうしなければ競争相手に敗れてしまい社長と社員が路頭に迷う恐れがあるからだ。

その焦燥感がなければ、誰がわざわざ生まれたてのヒヨコをシュレッダーですり潰すだろうか? 誰がわざわざ脂肪肝でボロボロのアヒルにチューブで飯を食わせるだろうか?

ならば、単純で最も根本的な解決策はこうだ。金を配ればいい。つまり、ベーシックインカムだ。

僕がベーシックインカムにこだわるのは、人は「金を稼がねば!」という焦燥感がなければ、極端に残酷なことなんてしないと確信しているからだ。

工場畜産だけではない。未来永劫生活が保障されるなら、誰が14歳の女の子を工場にまる1日閉じ込めるだろうか? 誰が美しい熱帯雨林をアブラヤシのプランテーションに変えるだろうか? 誰が病気になるまで地下でレアメタルを掘らせるだろうか? 誰が過労死するまでワンオペで牛丼を作らせるだろうか?

そりゃあ今の産業の形が変われば、多少の不便は生まれるだろう。しかし、多少の不便が我慢できないために動物を大量虐殺しようと思うだろうか? 児童労働やブラック労働をさせようと思うだろうか?

もしかしたら、多少の不便では済まずに、食糧危機になるかもしれない。それでも、みんなで考えればなんとかなるはずだ。今みたいに金のことだけを考える必要がなくなれば、生きることと倫理のことについて真剣に考えられる。

変えなければならない発想は、「人は利己的で、残酷だ」という前提だ。本来はそうではなく、利己的で残酷にならざるを得ないシステムがあるから、そうなっているだけなのだ。

あなたの友達や家族、知り合いの中に、ヒヨコをシュレッダーにかけそうな人物がいるだろうか? 小学校時代のクラスメイトには? 会社の上司には? たまたま繋がったTwitterのフォロワーにはどうだろう?

いないか、せいぜい1人かそこらだろう。その1人もいざやってみろと言われれば、きっと躊躇うに違いない。でも「やらなければお前の家族が路頭に迷う」と言われれば、やるかもしれない。

暗黙の前提を変えよう。たしかにアウシュビッツもヒロシマも起きた。人は残虐になれる。しかし、もとから残虐なわけではない。ならば道徳を身につけさせるのではなくて、本来の道徳を発揮できる状態にすればいいだけだ。

ベーシックインカム。工場畜産を解決するのはベーシックインカムだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!