最先端とレトロの間にある、膨大な「ダサい」の領域。

ネオン管のデザインが少し前に流行っていた。ような気がする。
こんなんとか。

たぶん、10年前に見てたらダサいと感じていたと思うけど、なんだか一周回ってレトロでオシャレな感じに見える。きっと50年前にできた喫茶店なんだろうな、というようなお店の看板にネオンサインが使われていたりすると、こいつは50年ぶりに日の目を見たんだろうなと感慨深く思う。

白の靴下なんかも同様だ。昔はダサいの代名詞的な存在だったが、黒のローファと合わせれば今ならオシャレ認定されるし、オシャレだと感じるようになった。MBはファッションは反動だと言っていた。最先端を行く差別化がいつの間にかあり触れていて、なんだかダサくなっていく。そのサイクルで次々最先端が生まれていき、気づけば一周回っている。きっと、あらゆる分野に当てはまる法則なのだと思う。

そんな法則に支配されながら住宅のデザインを決めるのは、なかなかチャレンジングな取り組みだと思う。
10年前に建てられた建売の住宅なんかを見ていると、ダサくて仕方なく感じる。きっと、10年前なら最先端だったのだろう。逆に50年前くらいの住宅はオシャレに見えてきた。その頃の住宅トレンドを調べていたら、どうやら青の瓦に白の外壁が流行っていたらしい。50代くらいの人からすれば、とてつもなくダサく見えるらしいが、僕からすれば地中海風のハイセンスな印象を受ける。

トレンドの波に流されない普遍的なものを探したい。例えば、歴史的建造物や海外の風景は、いつ見ても素晴らしいと感じるものも多い。しかし、これも見慣れていないだけであって、差別化理論に当てはまるのだろうか。地中海の美しい街並みを、現地住民は見慣れたありふれたものだと感じるのだろうか。

ダサいという言葉は、ありふれていると言い換えられる。そういう意味では、ずっと住んでいてもオシャレだと感じられる住まいというのは、この世に存在しないのかもしれない。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!