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廃品回収お願いします【雑記】

ここ数日はてんでダメだ。なにもしていない。父親からきているLINEをもう5日も未読スルーしているし、出版の準備も進まなければ、書き溜めたnoteの下書きも駄作ばかり。子どもの世話も中途半端で、掃除機のメーカーに電話をかけて修理の依頼をすることすらできなかった。本を読んでも頭に入らない。あれもしなきゃこれもしなきゃと焦っては頓挫。やり遂げたことと言えばネットフリックス版の『三体』を見終えたくらいである(これもシナリオの終わりが中途半端で不完全燃焼感がぬぐえない)。

で、眠ろうかと思ったら、ここ数日の体たらくが脳裏をよぎる。そして、社会を舐めた出版計画と、社会をなめた起業計画、自分の思想を世に問いかけるというイカれたプロジェクトを鼻で笑う大人たちの声が脳内空間を埋め尽くしていて、眠気が付け入る余地がまったくないのである。

仕方なくいま、中古のシンクパッドを開いている。深夜12時。頭の中身を整理するつもりはない。とにかく頭の中身を廃品回収に出したいのだ。

そういえばアーサー・ケストラーは人間は大人になるまでの時間が長すぎるせいで、年長者を疑うことができず、イカれた常識でも無批判に妄信する傾向にあると言っていた。だから、人類全員で核戦争を起こして集団自殺するか、全員で雁首揃えて大脳の切除手術をやれとかなんとか言っていた。本人は自殺した。

正直なところを言えば、僕だってイカれた社会の常識を妄信してマネーゲームを楽しめる人間だったなら、どんなに楽だったかと想像しないわけではない。10年前に戻って、頑張って就職活動をして、悪くない中堅企業に就職して、出世争いに精を出していたなら、機能不全に陥った資本主義社会を斜に構えて批判しつつも、ちゃっかり「中の上」くらいのポジションを確保し、最低限の幸福を手にするライフスタイルに最低限の満足を見出していたかもしれない。『ブルシット・ジョブ』みたいなクソ分厚い本なんて読まずに、ホリエモンとひろゆきの本を読んで、「これからの時代は転職が当たり前で~」とか「日本はまだまだ年功序列で~」とか言いながら、年功序列組織の実り豊かな福利厚生を享受していたかもしれない。

わからない。もしかしたらその世界線を選んでいても、どこかのタイミングでドロップアウトしていたかもしれない。さすがにもう、この世界の常識を妄信するのはむずかしい。僕でなくても、多くの人がむずかしいと感じているはずだ。

この世界はイカれている。クソである。なにがどうクソなのかは、意見が分かれるものの、とにかくクソであることには多くの人が同意するだろう。もちろん、アーサー・ケストラーに大脳を摘出してもらわなければならないほどに、常識を妄信してやまない人はまだ多い。それでも、クソであると感じる人は多い。

問題があるとすれば「クソだけどどうしようもない」とあきらめている人が大半であることだ。とっくに革命はブームが去っていて、リバイバルがやってくる気配はない。僕たちは資本主義批判をテーマにした大喜利大会を開催して、座布団を送り合ってはそれで満足している。

こんな時代に生まれたことは、ただただ不幸としか言いようがない。戦後に生まれていたなら、僕は焼け野原を世界の経済大国に育て上げることに情熱を燃やしていただろう。あるいは、もっと絶望的に格差が開いた時代に生まれていたなら革命の荒波に身を投じるだけでよかっただろうし、資本主義が死に絶えた時代に生まれたなら優雅なコミュニズムを満喫できた。

いま、この中途半端な時代に生まれてしまったばかりに、僕はこのクソみたいな社会をぶち壊そうと目論むファーストペンギンの役回りが回ってきたのだ。

いや、それはそれでちょうどよかったのだろうか。誰かがアンチワーク哲学を思いつく前に、僕が思いつけたのだ。いつ、誰が全く同じことを言いだしても不思議ではなかった。いや、似たようなことを言う人ならたくさんいる。だが、断片的な知識を組み合わせて1つの理論として展開している人は他にいなかったのだ。

わからない。僕はアカデミズムの人間ではないばかりに、僕がなにを言おうが素人のトンデモ理論であると一蹴される可能性は高い。ソクラテスはハイデガー研究で博士号を取得していないのだから、別に誰がなにを言っても構わないはずなのだけれど、もしかしたら僕がトンデモ理論を提唱している可能性もある。僕にはその可能性を完全に排除することはできないのだ。

でも、やっぱり人間を疑ってかかるこの世界は、人間を怠惰だと決めつけてクソくだらない労働に従事させるこの世界は、やっぱり受け入れることができないのだ。仮に、この世界はクソみたいな資本主義システムで運用しなければ成り立たないのだと完膚なきまでに証明する根拠を提示されて、僕が根本的に間違っていることを認めなければならない事態が訪れたとしよう。もし、そうなったとしても僕はその事実を受け入れない。僕はアンチワーク哲学を胸に抱え、ユートピアに思いを馳せながら棺桶に入るだろう。

もしそうなのだとすれば、神はなぜ人間を生み出したのか? そんなちっぽけな存在なら、存在しない方がマシだったのではないか? 猿のままでよかったのではないか?

どのみちこのままいけば100年か200年後には、地球そのものを廃品回収に出さねばならない事態に陥るだろう。人間がもしそんなくだらない存在なら、アーサー・ケストラーが言うようにさっさと集団自殺をしたらいいのかもしれない。だが、そんなつまらないことは言いたくないのだ。社会不適合者の星シオランのように、社会不適合者に迎合しないのだ。

僕はある意味で誰よりも社会不適合者だ。この社会の常識をまるっきり疑っているのだから。中途半端な社会不適合者は、この社会の常識を半分しか疑っておらず、ある意味で半分は適合している。僕は彼らをもっと不適合にしてみたい。次世代型社会不適合者の星になりたい。

そろそろ眠たくなってきた。寝るわ。なんかちょっとはスッキリしたよ。

目指すは、次世代型社会不適合者の星。いい目標だ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!