同調圧力は悪、という同調圧力

「マスク同調圧力うぜぇ」みたいな話をちょくちょく聞く。本人からすれば確かにうざいのだろう。しかし、これは仕方がなくないか? と思う。同調圧力にも、必要なものと、不必要なものがあり、これは前者であるはずだ。

マスクは、予防よりも、かかっている人がうつさないために着用する意味合いの方が大きいというのは、このコロナ禍でよく知られたことだと思う。ならば、公共の場でマスクをつけていない人は「予防していない人」ではなくて「対高齢者用のマシンガンを、いつ何時、ぶっぱなすかわからない人」ということになる。当然、見知らぬ他人が感染しているかどうかなんてわかりっこないのだから、周りからすれば気が気ではない。だからこそ、周りを安心させるためにもマスクをつけ、「わたしは、仮に感染していたとしても、マシンガンをぶっぱなしませんよ」という意思表示をする必要があるのだ。

確かに、僕もマスクはつけたくない。自分の予防にならないのであれば、いっそ外したいという衝動にかられることもあるし実際ソーシャルディスタンスが保たれる場面なら外している。しかし、自分がつけることで感染が減り、人を殺す可能性が下がると考えて、同調圧力を受け入れている。そして、自分も同調圧力を発している。マスク以外の同調圧力は大嫌いだけど、マスクはやむを得ないと思っている。

確かに、マスクをつけていないと飲食店に入ることができないというのは意味がわからない。どうせ外すのだから、入店時につけていても意味がないというのは理解できる。ただ、小売店や交通機関なら、マスク着用を必須にするのは当然だろう。

「同調圧力」という言葉がもつ効果は絶大で、便利だ。「マスク同調圧力うぜえ」と言えば、マスクをつけろと主張する人たちを「根拠のない迷信に固執しているやつら(笑)」であるかのごとく印象付けることができる。そして、迷信の中身を吟味しようともせず、一蹴することができる。言葉の持つ効果をじっくり考えて、それに振り回されていないか自分をチェックして、生きていこうと思った。

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