サスティナビリティノスタルジックに科学を添えて

江戸サスティナビリティノスタルジックと縄文サスティナビリティノスタルジックにどっぷり浸かった僕は、理想的な社会のヒントをそこに見出さずにはいられない。もちろん、人類は今までエデンの園に住んだことがないことは重々承知している。それでも、夢見ることをやめられない。

現代で般若心経を唱えて、せっせと賽の河原で小石を積むことも可能ではある。でも、どうせなら僕はエデンの園で般若心経を唱えたい。

「化学肥料がなかった江戸時代の人口が3000万人だから、1億人を自然農で養うのは無理」という言説をどこかで見たことがある。まるでハーバーボッシュ法以外、人類は有益な発明も知識も一切得られなかったかのような言い草だ。

だが、実際どうなのだろうか? 自然農が普及しないのは、自然農が大量生産に向かないことと、農協が農薬と肥料を売りたいからであって、それは市場のシステムの問題だ。自然農で1億人を養うことも不可能では無いような気もする。

ぶっちゃけ、ガチればなんとかなると思う。問題は誰もガチらないことだ。

世界に食糧を与え、汚染を減らし、大気から炭素を取り除き、生物多様性を守り、農家の収入を増やす比較的簡単で費用効果の高い方法があると、私が言ったら読者はどう思うだろう? これが本当なら、世界中の政府が大慌てで採用するに違いない。まあ、あるにはあるのだが、採用されてはいない。数なくとも今のところは。

デイビッド・モントゴメリー『土・牛・微生物』

モントゴメリーは、世界の土の疲弊に警鐘を鳴らして、自然農的な農業への回帰は、世界を救うことが可能だと主張する。僕もなんとなく、そんな気がしている。

残念ながら「人類がなぜトラクターや農薬、化学肥料を作ったかわかるか? 不可欠だからだ。農業素人が夢見るのは結構だが、現実は甘くないのさ」という現実主義を気取った中二病的な専業農家の声は、一定の支持を集める。社会全体が中二病なのだから、それは仕方がない。

彼らは、無駄に懐疑的な割に、「AIが仕事を奪う」みたいな言説を素朴に信じていたりする。そこが、中二病的価値観というデススターを崩壊させる突破口であるように思う。

要は科学の言葉に弱いのだ。だから、自然農を科学で権威づけることができれば、モントゴメリーの思い描くユートピアを実現できるかもしれない。

残念ながら地中微生物の働きは僕たちにはほとんど理解されていないらしい。ひとつまみの土の中にはいまだに名前すらついていない菌が何億と蠢いている。それでも、偉い学者さんたちが菌根菌の働きを化学式で表現し、生命の循環を概念化すれば、窒素とリンとカリウムをぶち込む以外に脳のない古典的な農学が支配する世界観を、いつかは歴史博物館送りにできる。

果たしてどれだけの時間がかかることやら。量子力学が発見されてから100年経っても僕たちの頭の中はニュートンが支配しているし、経済学の領域ではとっくの昔に論破された物物交換の神話を、このまえ地上波で池上彰が自慢げに話していた。まぁ端的に言えば「科学は葬式の度に進歩する」ということだ。

ルソー的な発想で「江戸時代に帰れ」なんて言えば、まるで僕が原始共産制を夢見る時代遅れのマルキストであるかのような扱いを受ける。だから、江戸時代に科学を添える。

文系なんだけどね、僕。やっぱり理系に進めばよかったよ。理系が詩を語ったらカッコいいけど、文系が量子力学を語ったら素人臭く見えるんだよね。

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