コロナよ待ってくれ、いかないでくれ

ワクチンを打ち切ってしまえば、あとは緩やかに日常生活に戻っていきそうな気配だ。

結局、エッセンシャルワーカーが冷遇されていることや、非エッセンシャルワーカーがクソの役にも立たない仕事をしていること、働く時間を減らしても何とかなりそうなこと、ベーシックインカムのことなど、根本的な議論が本格化することはなかった。

政治家は「通常の経済活動」なるものに一刻も早く戻らなければならないと主張し、人々はそれに盲従する。「通常の経済活動」があたかも万人にとって魅力的であるかのように。

コロナ初期の頃に行われていた議論も、所詮は根本的なものではなかった。「ハンコが必要かどうか?」とか「リモートワークをするべきかどうか?」とか、その程度だ。「そもそもハンコを押しているだけの人の仕事は必要なのか?」とか「リモート可能な仕事はなくなっても問題ないのではないか?」とか「資本主義なんてやめてしまえばいいのではないか?」と問われることはなかった。

『ブルシットジョブ』という本が出版されたのはちょうどいいタイミングだったが、ブルシットジョブをなくすためのデモ活動は巻き起こらなかった。

たしかに、コロナによってたくさんの人が死んだ。それは悲しむべきことだが、空虚な労働信仰と資本主義という宗教によって空回りを続けている「通常の経済活動」によって過労死する人も、自殺する人も、奴隷労働を強いられている人もたくさんいる。「通常の経済活動」を破壊することは、多くの命を救うことになるはずだ。生態系に関しては、いうまでもない。

僕たちは、コロナという空前絶後のチャンスを、棒に振ろうとしている。

本当にいいのか? このまま見過ごして。「通常の経済活動」に、本当に僕たちは戻るべきなのか?

これを機にデジタル化を進めようとか、WEBを活用しようとか、そういうことが言いたいわけではない(僕はデジタル化というものは人間の仕事を増やす方向にしか作用しないと信じているし)。

もっと根本的なところから、議論をやり直そう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!