「心」とは、重要な人物にしか存在しない
最近、exitに対する評価が「単なるチャラチャラした奴ら」から「あえてチャラ男を演じる戦略的な奴ら」へと変わっている気がするのは僕だけだろうか?
かつてピコ太郎が「あえて道化を演じているが、その裏側には深い戦略があった」的な評価を得たのと同じように、表層的な芸の裏側の意図を、周りが勝手に推測し始めるようになっている。
これは決して、くまだまさしやアクセルホッパーでは起こり得ない現象だ。くまだまさしやアクセルホッパーは、単に馬鹿馬鹿しい芸に興じる低IQな野郎という評価から先へ進むことはなかった。
だからといって、くまだまさしやアクセルホッパーに、なんら戦略的な思考が存在しないのかと言うと、そうとも言い切れない。たぶん何かしら考えているだろう。僕には想像もつかないが。
残念ながら、彼らは大して売れなかった。だから、その裏側の意図なんて、誰も興味を示さない。表面を見て、表面の通りの評価をくだされる。
意図や戦略…ざっくりと「心」と言い換えて良いと思う。心が重要な人物にしか存在しないというのは、こういうことが言いたかったわけだ。
人間には、心というものがあって、それとは別に表面に現れる言動というものがあって、両者の方向性は一致しているとは限らない…ということになっている。
つまり出来立ての恋人が「お前が好きだ」と言っても本心からそう思っているかわからないし、歌っている姿は天然キャラに見えるきゃりーぱみゅぱみゅも実は頭がいいのかもしれない。『もののけ姫』に「生きろ」というばかばかしいほどシンプルなキャッチコピーを採用した糸井重里には深遠な哲学が隠れているように見えるし、チャラチャラした服装でメディアに登場する落合陽一は礼節に欠けているわけではなくそれ自体が高尚なアートでありメッセージであるように見える。
迷惑な話だ。表面の通りに心も存在してくれれば、何も考えなくて済むというのに。人間というのは本当にめんどくさい。
めんどくさいから僕たちは、全人類に対して心の中に配慮することをやめようと思った。重要だと思う人物だけ、その心の中を配慮するようになった。通行人1人ひとりが何を考えているのかなんて、全くもって配慮しようとはしないだろう。
結果的に、重要ではない人物は、表面=心という扱いを受けることになった。
例えば、昨年の4月に僕が勤める会社に入社してきた新卒社員の男性。面接ではいたって好青年を演じていた彼は、あろうことか入社初日に金髪に染めて会社に来た。
すぐさま人事担当者は次のように指導した。
これ自体、人事担当者は新入社員の心の存在を認めていない証拠と言っていいと思う。
人事担当者が伝えたことは、判を押したような一般論だ。いくら社会人経験のない22歳の若者とは言え、これっぽっちの一般論を知らないということは考えにくい。
ならば当然、彼はこの一般論を知った上で、あえて金髪に染めたのだ。必然的にその裏側には何らかの意図が含まれているということがわかる。
しかし、人事担当者はこのことに配慮しなかった。というか気づかなかった。
単に表面通りに受け取り、「社会の常識を知らないが故に、気まぐれに金髪に染めてきた世間知らず」という評価を彼に対してくだしたのだ。
彼に心が存在することを認めているならば、第一声はこうあるはずだろう。
彼が素直に話すとは限らないが、彼との距離を詰めていけば、いろいろと話してくれるだろう。友達との賭けに負けた罰ゲームかもしれないし、社会への反抗的なメッセージかもしれないし、自由への賛歌かもしれないが、きっとなにかしらの理由を話してくれる。
心の存在を認めれば、たいていのことは許される。罰ゲームだったとしても人事担当者が完全に金髪を許すことはないだろうけれど、情状酌量の余地は生まれるだろう。
そして彼の心を認めていれば、これからさき彼が何かしらのミスをしても、その背景や意図を汲み取ろうとするだろう。ミスを表面的に受け取れば、飛び抜けた怠慢や愚行ということになるが、たいていの場合は、ミスは誰にでも起こりうるやむを得ないものだ。ミスを起こした人物には、それ相応の理由がある。それを認めれば、再発防止に向けてポジティブに取り組める。
全人類に対して心を認めるのは難しいけれど、それでも認めるべきだと思う。狩猟採集民族だった頃の僕たちは、一生のうちに出会う人数なんてたかが知れていたから、きっと全ての人の心を認めることだってできただろう。今の僕たちには難しいけれど、それでもできるだけやってみるべきだと思う。
世の中のほとんどの問題は、相手に心を認めていないことが原因であるように思えてならないからだ。あなたにも心はある。僕にも心はある。あなたもバカじゃないし、僕もバカじゃない。何らかの考えをもって生きていて、あらゆる言動には納得できる理由がある。そう考えて生きる。ブレイディみかこがいう「エンパシー」というのはこういうことだと思う。
もう一度、ブレイディから読め。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!