見出し画像

アンチマスクヒーローになる

「習慣化」のメソッドをインターネットで探してみよう。意識高い人たちによる講釈が掃いて捨てるほどあるから。

では、「非習慣化」についてはどうか? ほとんど出てこない。いま必要なのは、非習慣化だというのに、全くGoogleというやつは肝心なときに役に立たない。

コロナに2度かかった経験と、周りの人がかかった状況の話を総合して、理解した。マスク要らんわ(ファクトなど必要ない。僕がファクトだ)。

どうせ感染するのは飯食ってるときで、マスクなしで一緒に過ごしたくらいじゃうつらないことの方が多い。それに、一緒に鍋をつついても、感染するとは限らない。かかっても、ほとんどの場合はただの風邪(妊婦である僕の妻も、90歳のおばあちゃんも、風邪で済んだ)。

もう、外すわ。

マスクしたまま呼吸するのは、ズボンを履いたままウンコするようなものだ。要するにイカれている。

息がしづらい。顔が見えない。耳は痛くなる。有線イヤホンは引っかかる。くしゃみしたら臭くなる。メガネは曇る。資源の無駄。金の無駄。感染予防効果があるのかないのかよくわからない。子どもの発育に悪影響っぽい。

そういうあれこれを理由にしたマスク不要論は盛り上がっては、諦められるというサイクルを繰り返しているように見える。こういうときに議論しようとするからダメなのだ。もし、現実を何も変えたくないなら、議論することは最高の方法だろう。何かを変えようと思うならば、涼しい顔で堂々と外す。それ以外にあり得ない。

調べていれば、脱マスクに7割が賛成しているという都合のいいデータも出てきた。うん、過半数なら問題ないだろう。

ただ、マスクポリスには嫌な顔をされると思う。何か言われたら「へへっ、すみません‥」と謝ればいい。そして次の日も堂々と外す。

僕の姿を見てみんなが外していけば、いつか勢力図は塗り変わる。空気が変わる。一番槍を担う僕たちは、きっと苦しめられる。それでも僕はみんなのためにスケープゴートになるのだ。本当はみんな外したいのに外せないのだから、僕がやるしかない。

つまり、僕はアンチマスクヒーロー。ヒーローっていうのは、なんらかのマスクをつけているものだが、今の時代にはそれを外すことがヒーローの条件なのだ。

顔を堂々と出して善行を行うのだ。ということでいま、マスクを外して電車に乗っているが、意外とジロジロと見られることはない。

手応えは上々。目指せ、マスクゼロ生活。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!