ラディカルジャンキーと化した僕
常套句に飽き飽きし、常套句の裏をかくようなラディカルな言葉にビビッと来てしまうのが、人間のどうしようもない性質だと思う。
音楽の世界でもそうだ。例えばこの曲も、常套句の裏をかいた歌詞を求めるリスナーの心理に響いて流行ったのだろう。
「会いたい」系の歌詞は飽和しすぎて、それだけじゃ誰も満足しなくなった。だから「僕より先に死なないでほしい」という歌詞に繋いだ。
しかしこれすらもかつてさだまさしが歌った歌詞にそっくりである。だから、「なんでもないよ、」に繋いで、さらに裏をかいたのだろう。だが、もはやそれすらも「言葉にできない」系の常套句だ(ちなみにその裏をかいた歌詞がRHYMESTERの『It's A New Day』という曲の歌詞にある)。どうにも常套句の裏をかく試みは無限ループしているらしい。
思想とか哲学の世界も同じである。カントが出てきて、カントとかニーチェを更新しようとして、結局のところカント以前に戻ってきただけのような思想家とか哲学者はたくさんいる。
もちろん僕も小さいレベルだがついついラディカルを追求したがる。単にあれこれとnoteを書いてきたが単に世論に逆張りしたいだけだと言われれば、否定するのは難しそうだ。
こういった現象は、単に目新しい言葉飛びついてしまう僕たちの節操のなさを表しているように思う。別に常套句だからと言ってその言葉や思想に価値がないわけではないし、ラディカルだからといって、それが真実だとも限らない。
結局は地に足のついた言葉を吐くのが一番だ‥的な僕の発想も、テーゼとアンチテーゼの上をいくシンジテーゼを気取っているわけだが、それも結局のところ一周回って常套句だったりする(そして、そんな風に考えすぎたらダメなので思ったことを言えばいいさとか、結局行動‥というのも常套句だ。一回死んできた方がいいのかもしれない)。
ともかく、新しい言説に心を動かされたときは、単に自分はラディカルジャンキーになってるだけなのじゃないか?と一歩立ち止まってもいいのかもしれない。そうでもないと、次から次へとラディカルを求めるだけのラットになってしまう。魅惑のメタ理論ばかりを求めるのはやめてみようと思う。
考えすぎるのは不幸だわ。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!