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「言いっこなしよ」の世界

僕が働いている倉庫では、商品はお金をとって売るが、木枠のパレットやドラム缶、段ボールなどにお金をとることはない。逆に、仕入れの段階で、それらを無料で譲り受けることもある。物を運ぶ過程で詰めたり積んだりする必要に応じて、業者間の共有財産として「言いっこなしよ」で使っているのだ。

なぜなら、いちいちドラム缶の費用をカウントして請求書を送るのはめんどくさいからだ。

別にそんな義務はなくとも「この前たくさんドラム缶たくさん貰ったから、何個か返しとこかー」ということも起きる。

こういう事態を見つめていると、僕はその「言いっこなしよ」の精神を、お金をとって販売している商品にも適用できないか?と考えずにはいられない。そうすれば会計処理にまつわるあらゆる手続きを一気に簡略化できる。

もし、その傾向が僕たちの社会を覆ってしまえば、お金は不要となり、贈与経済に移行することになるだろう。ドラム缶の扱いを見ていれば、そういう事態が可能なのではないかと思う。

もちろん、ドラム缶なんて極めて安価だ。安価であるが故に可能なだけであって、そうでないものには適用できないとする向きもあるだろう。その批判は決して的外れではない。たしかに、ロールスロイスを言いっこなしで融通し合う未来は想像できない。

しかし、必需品ならどうだろうか。僕の会社が扱うのはある意味で産業や生活にとっての必需品だ。世の中の必需品は大抵安価で、ドラム缶並みの安さで大量生産されている。

ある意味でサブスクや食べ放題は、「言いっこなし」の世界を擬似的に再現していると言える。しかし、食べ放題で腹が破裂するまで飯を食う人がいないように、人の欲求には限界がある。ならば、「好きなだけ必需品を持って帰ってもいいよ」と言ったところで、必要以上に持って帰る人は少ないはずだ。遠慮というブレーキだって働く。

ドラム缶経済は、ある意味で「必要に応じて受け取り、能力に応じて与える」というコミュニズムの理念を体現している。これは感動的な現象であると思う。

サブスクモデルは結局のところ利潤を得るために慎重な計算が必要だ。そのため、限界費用0円のITの領域と相性がいい。それでも、僕たちの物質的な世界に応用できない謂れはない。

なんかこの発想には、ビジネスチャンスが潜んでいる気がする。ビジネスチャンスというのは金儲けのチャンスという意味だけではなく、産業や生活のあり方を刷新するビジネスを生み出すチャンスという意味も含んでいる。

なんかやってみようかしら。やめておこうかしら。やりたいことが多すぎる。困った困った。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!