知識自体に価値がない? そんなわけがない
「今時、グーグルで調べればなんでも出てくるのだから、知識自体に価値はない」
というようなことを言う人に出会った。こういう知識不要論者にはたまに出会うが、言ってることは果たして本当だろうか?
確かに、「坂本龍馬の好物はなんですか?」と聞かれたとき、それを知っていなくても答えることは可能だ。ググればいいのだから。いまググってきたら、鯖の刺身らしいということがわかった。
では、この知識には本当に価値がないのだろうか?
例えば僕が鯖の販路拡大を狙う水産加工業者だったとしよう。坂本龍馬の好物が鯖の刺身という知識を持っていれば「坂本龍馬にあやかったパッケージを作って販売しよう」という考えに至るかもしれない。だが、この知識自体がなければ、そもそも「坂本龍馬の好物」を調べるという発想に行き着かないはずだ。ならば、依然として知識には価値があるということにならないだろうか?
僕たちが生きている世界は、一問一答形式のクイズ番組ではない。クイズ番組であったなら、グーグル以上の成績を叩き出すことは難しいが、知識と知識を組み合わせて何か解決策を導き出したり、新しい知識を創造することは、残念ながらグーグルにはできない。
ならば、思考能力のある人間の中に知識が蓄積されることは、AI時代になろうが、何ペタバイトのデバイスを持ち歩けるようになろうが、重要であるに決まっている。
とはいえこれも思考能力があることが大前提ではあるのだが、人間なら誰しもそれなりの思考能力はあるだろう。ちょっと衰えている人もいるだろうけど、ちょっと鍛えれば復活するはずだ。
まぁ、知識不要論者は、この「考える力」や「リサーチ力」とやらが重要なのであって、知識はネットで調べれば良いから重要ではないというようなことが言いたいのだろう。
そして、知識を丸暗記するしか脳のない高学歴たちは、考える力がなく、使えない‥的なニュアンスも含まれていると思う。
一理なくもないが、あんまり間に受けない方がいいね。
そのご自慢の知識不要論も、誰かが言ってたことの丸暗記コピペなわけだから、なんとも皮肉だ。
果たしてそんな丸暗記を自信満々に披露している人に、飛び抜けた「考える力」とやらが備わっているかどうかは怪しい。
もう少し自分で考えた方がいいね。
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