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そもそも制限速度はいらないと思うのは僕だけ?

数ヶ月前、ペーパードライバーだった僕が1.5トン車を運転するにあたって、極力、危険がない運転を心がけようと思った。当然、速度制限を守ろうとした。しかし、できなかった。標識がどこにあるのか、わからないからだ。

いや、わかる。わかるのだけれど、前の車との車間距離を維持しながら、左右の道路状況にも注意しながら、それでいて標識を即座に見つけることはできない。

初めは標識を探してキョロキョロしていた。そして、速度メーターと見比べて減速したり加速したりしていた。しかし、そうこうしているうちに僕は気づいた。「あ、キョロキョロしてる方が危ないわ」と。それ以来、制限速度のことを気にするのはやめることにした。

もちろん、多くのドライバーが制限速度のことなど気にしてはいないことは周知の事実だ。警察が待ち構えているときに思い起こす程度で、僕のようにいちいち標識を探してキョロキョロしたりはしない。それに、常に制限速度を守っていたら「逆に迷惑」という共通認識すらある。

そういう事実を踏まえて「もっと制限速度を緩和しよう」という意見を出す人は多い。立ち飲み屋で隣のおっさんに制限速度について意見を聞いてみよう。十中八九「あんなもんチンタラ守ってたら遅すぎるわ。もっと早めに設定せんとあかんやろ」という返事が返ってくるはずだ。

ドイツなんかでは、立ち飲み屋のおっさんの言う通りに法整備がされている。アウトバーンの速度制限は200キロで、一般道すら100キロ。それでも事故は少ないらしい。

「ほれ、見てみぃ」と立ち飲み屋のおっさんは鼻高々だろう。しかし、ここまでくると僕は次のように問わずにはいられない。「もう制限速度いらないんじゃないの?」と。

ドイツのドライバーも、普段から「200キロまで出せるぜ!」とイキリたって『Driver's High』を流しながら200キロで爆走するわけではないだろう。恐らく、1人ひとりのドライバーが道路状況を見て安全度を見極めながら速度を決定しているはずだ。

もちろんこのことは日本においても当てはまる。速度制限が存在するのは警察の前を通過するときだけ。あとは各々が安全だと判断できる速度で走っているわけだ。

つまり、事実上、制限速度は存在していない。

だったらなぜ速度制限は無くならないのだろうか? わざわざ標識を立てて、馬鹿みたいに警察が待ち構えているのだろうか?

「ルールが存在しなければ全ての秩序が崩壊するのでは?」という恐怖心を捨てることはむずかしい。そもそもルールが機能してすらいない今のような状況であっても同様だ。

どこかの悪意に満ちたバイキンマンみたいな人が、ルールがなくなった途端に、200キロで一般道を爆走するような事態にはならないと思う。そもそも、バイキンマンは別に今のルールでも200キロで一般道を爆走することは可能なのだ。そんなにクレイジーな奴なら警察に切符を切られることなんて気にしないだろう。

普通の人は善意に満ち溢れている。警察がいないからといって爆走したり、ウィンカーを出して割り込みたい車を無視したり横断歩道を渡る歩行者を無視して急発進したりすることは稀だ。だから速度制限が消えても、普通にそこそこ安全に運転するだろう。

もちろん、「ひゃっほー、速度制限がなくなったぜー」と面白半分で爆走する奴も現れるかもしれないが、それも初めのうちだけだろう。

とは言っても、それで人が死ぬかもしれないので、簡単にはいかない。うーん、やはり速度制限はドイツみたいに設定して、無くすのはダメかもしれない。

気づけば、立ち飲み屋のおっさんと同じ結論に至ってしまった。僕ももうおっさんなのだろうか。

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