会社で、危機対応マニュアルなんてものが作られていた。

それは、十数ページにもなる資料だった。例えば地震が起きた場合は、危機管理対策本部みたいなものが立ち上げられて、連絡網にしたがって連絡をして、報連相を徹底しなければならないらしい。そして、原則として対策本部の指示にしたがわなければならないものの、緊急時は各々が判断して行動し、後から報告をすればいいらしい。通常業務は、状況を見て、できる範囲で執り行えばいいらしい。

「良識のある大人なら、言われなくてもそうするよ」というようなことが、長々と書かれている資料だ。僕は、これがあることによって、救えなかった人命が人命が救われるようになるとは思えない。右往左往している社員が本部からの的確で華麗な指示によって冷静になり危機を逃れるようなことがあるとは思えない。なぜなら、対策本部のメンバーは社長や取締役など、別に地震の専門家ではないからだ。地震の時に優れた判断力を発揮できるという理由から、出世したわけではない。

むしろ、マニュアルがあったばかりに、救えたはずの人命が失われる可能性が高まるような気さえしている。つまり、マニュアルを探して手間取っている時間や、本部からの指示を待っている間に、瓦礫に埋もれてしまう未来だ。これは容易に想像がつく。

マニュアルというのは不思議なものだ。マニュアルが作成されるということは、作成者は以下のように考えているということが明らかだからだ。

◎マニュアル作成者が考えた行動指針は、社員では到底思いつかないような優れた内容である。
◎マニュアルがなければ、社員は適切な行動が取れない。
◎マニュアル作成者と比べ、社員は愚かであり、最低限の良識と判断力さえ持ち合わせていない。

採用試験を通過した社員のことを、まるで幼稚園児のように考えているのだ。そうでなければ、マニュアルなど必要ないのだから。全社員で行動指針を統一するという意義や、インフラ復旧のためのチェックリストとしての意義もあるだろうが、この役割を果たしているのはマニュアルのうち数ページを占めるに過ぎない。

こんなことは少し考えればわかることだ。しかし、誰も考えないのだ。マニュアルが纏う「マニュアルは必要だ」という空気はいかに強力かがわかる。

冷静に、いらないものはいらないと言いたい。

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