コロナと、孔子と、冷やし中華

コロナ陽性が判明したとき、熱は37.5度かそこら。症状は鼻水と倦怠感。年齢は30歳で、基礎疾患も無し。

ポカリ飲んで寝ていれば治りそうだ。

それでも、街角PCRの陽性通知の画面には「病院に行け」と書いてあったから、「これっていく意味あるのかね?」と思いながら、僕は病院へ電話をした。

病院の予約は、なかなか取れなかった。「来週の水曜日まで予約でいっぱいで…」なんてことをいう病院もあった(その頃にはもう元気いっぱいになってそうだ。実際、水曜には元気だった)。

なるほど、医療現場は逼迫しているというのは、本当らしい。電話口の女性たちは、「予約なんて取れるわけないのだから、さっさと電話を切れ」という本音が喉まででかかっていた。

4件ほどたらい回しにされた後、予約が取れた。

予約が取れても、僕は疑問が脳裏から離れない。つまり「本当に行く必要あるのか?」という疑問だ。僕は少し調べてみることにした。

すると、どうやら今年の1月ごろ、医療現場の逼迫を抑制するために、厚生労働省が方針転換をしたらしいことがわかった。

要は「症状がたいしたことないなら、家でポカリでも飲んでおけ」という方針になったらしい。

なるほど、話が違うではないか。

是が非でも病院に行けと言わんばかりに、街角PCR検査の通知には書かれていたから、僕はわざわざ4件も電話をして病院を予約したのだ。医療現場が逼迫しているのは百も承知だし、電話1本で時間を奪われる病院側の迷惑も理解できる。それでも、電話しろと言われたのだから、したのだ。

結局、僕はどう振る舞えばいいのかわからない。とりあえず病院に行って、正式な検査をしてもらうと同時に、今後どのように振る舞えばいいのか教えてもらうことにした。

受診当日。検査は駐車場で行われた。アンドロイドのように定型文をリピートする医者と、無言の看護師。鼻の奥に綿棒を突っ込まれ、印刷してきた保険証と受信料を手渡す。

「薬を用意します」と言われた時に「別にいらないです」と断ったら、「コイツ何しにきたんだ?」というような反応をされた。いや、行けと言われたから来たのだ。

「自粛ってどれくらいすればいいんですか?」と聞いたら、「厚労省のHPを見てください」と言われた。検査は物の数分で終わり、医者は「温かい食べ物を食べて、ゆっくりしてください」と言って去っていった。

「何しに来たんや」と僕は思った。その日の昼飯は、冷やし中華を食った。

わかってはいたが、国も、医療機関も、保健所も、一枚岩ではない。明確にルールを定めて厳粛に執り行うというスタイルは、どうやらこの国の性に合わないらしい。

これを道びくに政を以てし、これを斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。これを道びくに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格し。

論語

孔子は「ルールで縛で縛っても抜け道を探す奴が出てくるだけだから、空気を読ませろ」と言った。一方で韓非子は「抜け道を全部塞ぐくらいに徹底的にルール化しろ」と言った。命令ではなく要請を好む日本の政治は孔子スタイルを理想とし、法律で縛るEUや命令で縛る中国は韓非子スタイルに近い。

どちらのスタイルで行っても構わないのだが、中途半端が一番タチが悪い。空気を読ませるなら、ちゃんと空気を作ってほしい。ルールで縛るなら、とことん縛ってほしい。

確かに孔子が言うように、成文律と不文律では、不文律の方が強力だ。「ノー残業デー」という成文律があっても、タイムカードを切って残業すると言う不文律があれば、人は不文律に従う。

そこで「残業を発見したらぶん殴る」という韓非子的パワープレイをかましてくれても良いし、「ノー残業デーだけど、社会人の常識として…わかっているよね?」と、とことん不文律を守らせるようんプレッシャーをかけてくれても良いが、何に従えばいいのかわからない状態が一番困る。

やっぱり、こういう事態がコロコロ変わる状況なら、空気を読ませるよりも、厳格なルールと罰則で突き抜ける方が良いのかもしれない。権力の暴走を危惧する声もあるが、どうせ権力なんて暴走しているのだから、さっさと暴走させればいい。やり過ぎだと思ったならデモでもなんでもすればいいさ。

そういえば、僕のおばあちゃんは90歳になるのだが、コロナに罹ったらしい。でも、症状は風邪程度で、数日で元気になったそうだ。

絶対に僕は病院に行くべきじゃなかった。40歳以下で基礎疾患無しなら病院に行かなくても良いという厚生労働省の方針を、徹底的に周知してくれていれば、こんなにモヤモヤした気分にはならなかったはずだ。冷やし中華を食っても、スグに治ったよ先生。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!