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生活保護受給者はなぜ批判されるのか?

僕に畑をタダで貸してくれているおばちゃんは、先祖から引き継いだ広大な土地の一部を、月極の駐車場として運営している。

見たところ40台くらいは駐車していたので、仮に1台あたり月1万円だとしても、毎月40万円(税引き前)かそこらの不労所得を手にしているわけだ。

そのおばちゃんは農業以外にも仕事をしているわけだが、駐車場の料金だけで(そんなに贅沢はできないものの)家族をくわせられるくらいの収入にはなりそうだ。

こういう地主は、日本中にそこそこの数、存在していると思う。中には働いていない人もいるだろう。しかし、不思議なことに、彼らが生活保護受給者のようにバッシングされることはな少ない。

先祖から土地を受け継ぐことは正当な権利であり、一方で生活保護は単なる怠惰への報酬であるという批判をすることは可能だ。しかし、その土地も戦後のどさくさに紛れて「ここは俺の土地だ」と先祖が主張しただけというケースは往々にしてあると思う。

ならば、「ここは俺の土地だ」と主張して(生活保護受給者のように働かずに)そこからアガリを徴収することと、「この生活保護費は俺のものだ」と主張して政府が国民から巻き上げたアガリを徴収することと、違いはほとんど無くなってしまう。

また、「部長の席は俺のものだ」と主張することで実質的に不労所得を得ているマネジメント階級や、「この会社は俺のものだ」と主張することで役員報酬を得ている取締役とも、ほとんど区別はつかないように見える。

それにもかかわらず、彼らは生活保護受給者のような批判を喰らうことはない。

タイヤの空気圧を点検したり、家政婦として誰かの家を掃除したり、怪我人のガーゼを替えたりするような、いわゆるエッセンシャルワークに取り組む人は、間違いなく社会に貢献していて、それによって収入を得る。だが、税金、地主やマネジメント階級、役員によってピンハネされていて、出涸らしのような給料しかエッセンシャルワーカーには届かない。

エッセンシャルワーカーが、生活保護受給者を叩くなら理解できる。自分たちが生み出した社会的価値にフリーライドしているのだから。それでも、不労所得を得る他の人々も併せて批判しないのは理解できない。単に、支配階級のプロパガンダ(「俺たちは正当な収入を得ている」)に騙されているだけのように思えてならないのだ。

生活保護費の原資が税金である以上、有無を言わさず徴収されており、それは地代や役員報酬とは異なるという主張も考えられる。しかし、事実上、僕たちは地代や役員報酬を拒否することができない以上、それらと税金もほとんど違いはない(逆にその気になれば税金を払わないこともできるわけだし)。

ならば、生活保護受給者が叩かれているのは、単なる習慣以外の何ものでもなく、謂れのない批判であると主張したい。むしろ彼らは自分たちが健康で文化的な生活を営むために、最低限の収入しか得ていない。社会の多くが実質的な労働につくことなく、アガリの分け前に群がっている以上、生活保護受給者は社会の大半のメンバーよりも道徳的とすら言える。

問題は、資本家や地主、その他ブルシットジョブにはそれなりの苦労があることだ。その苦労は、奴隷主がマネジメントに苦労したり、ルイ16世がテーブルマナー習得に奮闘したのと同様の種類の苦労なわけだが、その苦労ゆえに、自分は社会に有益な貢献をしていると勘違いすることは往々にしてある。実際はアガリを徴収しているだけに過ぎないにもかかわらず。

AIがどうのとか、テクノロジーが発展したら労働がなくなるなんて言説は、プロパガンダに過ぎない。未だにTシャツ1枚を縫い合わせるのも、100年前からほとんど仕組みが変わっていない古典的なミシンで、先祖伝来の土地から追い出されたインドやパキスタンの農民の娘の手によって行われているわけだ。

鼻高々のシステムエンジニアがウーバーイーツでスタバのラテを頼むとして、彼がプログラミングしたロボットが、コーヒーを育て、脇芽をとり、収穫し、検品し、段ボールに詰め、コンテナを船舶に積み込み、運搬するための道路にアスファルトを敷き詰め、街路樹を剪定し、トラックのエンジンオイルの調子をチェックする‥というわけではない。もちろん彼のソースコードが、段ボール詰めの効率化に一役買っている可能性はある。だが、あくまで作業しているのは、時給千円で働く派遣労働者やアルバイトなのだ。

別に僕はエッセンシャルワーカーを褒め称えて、ブルシットジョバーや地主階級を批判したいわけではない。彼らは彼らで家族を食わせなければならないとか、そういう必要に迫られてそういう仕事をしているわけで、気持ちはわかる。僕だってブルシットジョブについていたわけだし。それはシステムの問題であって、個人の責任ではない。銀行員や証券マンも、きっとそうだろう。

ただ、誰にも余計な苦労をして欲しくない。道路にアスファルトを敷くことに苦労があるのはやむを得ないことだが、社会の富にフリーライドするためだけに心をすり減らす人が大勢いるのは、どう考えても理想的な社会とは言い難い。

なんか似たようなことばっかり言ってるが、僕が声を大にして言いたいことはせいぜいそれくらいだ。何かこういう考えを丸っとまとめて、本にでもしようかと、最近はそんな気分になってきた。

うん。そうしてみようかな。楽しそうだ。

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