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理想の上司

俺らの頃は教えてくれる上司なんていないのにやってこれた。それに比べてお前らは、俺という上司がいる恵まれた環境で仕事しているのに、なぜできないんだ?」的なことを言う上司に出会ったことは、アルバイト経験も含めて4〜5回はある。

その度に僕は「逆だ」と感じていた。「教えてくれる上司がいないのにできた」のではなく「教えてくれる上司がいないからこそできた」なのだ。

人間は自発的に創意工夫し成功することで、より大きなやりがいや達成感を味わえることに異論はあるまい。しかし、この手の上司は「自由にやれ」と器の広い上司を気取りながらも、何かアイデアを話した途端に「んー、それはどうかな?」と封殺しようとし、ほんの少しの失敗を見つけては即座に介入し「ほら言ったじゃないか」と、したり顔をするのが常である。

つまり、事実上、この上司の前に自由など存在はしない。彼の態度は「俺の言う通りにしろ」というメタメッセージを発している。しかし、形式上は自由が与えられていることになっているため、部下は自由に仕事に取り組むフリをしながら、上司が思い描く正解を手探りで見つけ出すという茶番を強いられる。

すぐに正解を聞きたがる部下とは、このような文脈で理解すべきだろう。どうせ茶番なのだから、勿体ぶらずにさっさと正解を教えてくれた方が手っ取り早いと考えるのは、当然の心理である。

さて、この状況を打破するにはどうすればいいのか? 言い換えれば、理想的な上司とはどのような存在なのだろうか?

完全なる自由放任も次善の策としては悪くないものの、それはもはや上司としての役割を放棄するに等しい。

実際、上司の方が豊富な経験値を蓄えていることは事実なのだ。明らかに不毛な失敗を繰り返させることや、全く見当がつかない状況でヒントすら出さないことは、宝の持ち腐れである。

とはいえ、上司の前例に従うだけでは部下の創意工夫の余地が失われ、モチベーションは上がらず、部下は上司の仕事の劣化コピーを繰り返すだけのロボットと化す。

ならば、答えは簡単である。部下はいつでも上司に助言を仰ぐことができる上に、上司は部下に気を配り必要だと感じた助言を与える。しかし、その助言を無視する権限を、部下が持てばいいのだ。

助言に従うことと、助言を聞くことは異なる。前者は命令に従うことを意味するのに対し、後者は情報を集めて最終的に判断するのは自分である。最終的に自分で判断するのなら、自ら創意工夫しているという手触りは損なわれない。

とはいえ、上司に管理責任を問われるのであれば、助言を無視する部下にはハラハラさせられ、ついつい「ほら、なんで言うこと聞かんねん!」と叱責を加えてしまう。そうなればもう元の木阿弥だろう。ならば、上司は部下の行動に対する一切の責任を持たない状況が望ましい(ここでいう「責任」とは「目上の人に怒られない」とか「評価に影響を与えない」という意味である)。せいぜい失敗の尻拭いを一緒にやる程度がいい。

まとめると、助言を無視できる部下と、部下の振る舞いに責任を持たない上司が、理想的な関係だと僕は考える。

お気づきだろうが、それはもはや上司と部下という関係ではない。ただアドバイスだけを与え、介入することも、責任を取ることもない、単なる相談相手である。

僕が考える理想の上司とは、相談相手であり、それ以上でも以下でもない。

世間の上司諸君は、僕の助言をぜひ参考にしてほしい。もちろん、その助言をあなたは無視できるし、その結果どうなろうが、僕にはなんの責任もないのである。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!