年配者と仕事をする方が、若手と仕事をするよりも、ややこしい。これは詐欺である。

この感覚、なんらかのオフィスワークをしている人(とくにクライアントワークをしている人)なら理解してくれると思う。

仕事のパートナーやクライアントが、経験豊富な年配者であればあるほど、事態はややこしくもつれる可能性が高い。そして、同僚たちは「うわ、相手役員やからめんどくさいわ」とか「〇〇さんは細かいから注意せな」という感覚を当たり前に受け入れている。

僕は、これがおかしいと思う。というか、詐欺ではないかと感じる。

一応、高い給料を受け取っている年配の人たちは、仕事の能力が高いということになっている。僕はこの定説を受け入れてはいないのだが、仮に受け入れるとしよう。

ならば、年配の人たちと仕事を共にする場合、若手と仕事をする場合よりも圧倒的にスムーズに進むべきではないだろうか?

それが実際は逆になっているのはどういうわけだろうか?

考えられる反論としては、僕が仕事をするときは常に手を抜いていて、若手はそれを見逃し、年配はそれをめざとく発見して指摘しているからめんどくさくなるというものがある。

これに関しては一理ある。僕は若手相手なら真面目に仕事するが、ややこしい年配と仕事をするときは手を抜くことが多い。「どうせ文句言われるなら真面目にやるだけ無駄」と感じるからだ。これはごく正常な反応であるように思う。細かいことを気にせず、スムーズな進行を重視する若手のためなら、できるだけミスをなくし高クオリティの仕事を提供したいと感じる。だが、重箱の隅をつつく人のために、誰が真面目に働くというのだろうか?

結局、僕が手を抜くのも、年配の身から出たサビだ。

年配は管理職と呼ばれる身分である可能性が高い。管理職とはマネジメント能力とやらが高く、厚かましくも人のモチベーションを高めることができる人のことらしい。

ならば、僕のモチベーションを高めることも容易なはずだ。それなのに、安月給の平社員の方が僕のモチベーションを高めているのはどういうわけだろうか?

別の反論も考えられる。年配は雑務を周囲に押し付けるため、事態がややこしいように感じるというものだ。これもある程度は正しい。確かにその通りだ。

だが、これはなんら年配者の立場を正当化するものではない。ここまでで確認できた年配者の特徴は、事態をややこしくして、僕のモチベーションを下げて、雑務を押し付けてくるという3点。全て年配者の給料を下げて然るべき要素だ。

それなのに実際のところ、年配者の給料は高い。つまり、これらのマイナス要素を補ってあまりある素晴らしい能力を持ち合わせていなければおかしい。まぁ経験とか知識とかそんなのだろう。だが、これも懐古趣味に固執することで生まれる悪影響で相殺される。

ここから導かれる結論は、年配者は能力が高いから給料が高いわけではないということだ。むしろ周囲への悪影響などを総合的に見たときに年配者の能力は低い。

何らかの理由で権力を得て、傍若無人に振る舞う権利と、高い給料を手に入れているのだ。

言い換えれば、お金をもらいながら遊んでいるということになる。好きなだけ文句を言っていいという立場にいれば、「お前のために言っている」という自尊心を常に満たせるため、快楽物質をドバドバと得られる。これはご褒美的なものだ。ご褒美のお遊びに給料が支払われ、それによって周囲が振り回される。しかもそのお遊びは、ビジネスという大いなる目的を前進させるものであるという欺瞞に包まれている。

この事態をどうすれば正当化できるのか、僕にはわからない。

明らかに社会通念に反する事態がまかり通っているわけだ。なぜ誰も職場のヒエラルキーを無くそうとしないのか、理解に苦しむ。

命令も、支配も、権力もない、チームを作ろう。話はそれからだ。

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