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殴り書きの日記を書いていたら、ソクラテス宣言をすることになった【雑記】

人生にはバランスが必要だ。飯を食って風呂に入ってセックスして寝る。ゲームをぶっ通しで24時間やっていたことはあるけれど、その生活を1年続けることはできない。同じことを延々繰り返すと死にたくなる。そう考えれば労働ってのは人間を殺しにいくプロセスなわけだ。「過労死とは労働の完成である」とか「すべての労働は過労死へのプロセスである」とでも言いたくなる。

工場のライン仕事を僕はやったことはないけれど、きっと死にたくなるんだろうなぁ。1日や2日なら耐えられると思うが、それを何年もやり続けるなんて、人間の人生とは思えない。そういう仕事に支えられて、この文明社会は成り立っているのだけれど。

僕がいま飲んでいるコーヒーを栽培しているのが、グローバルサウスの未就学児なのかどうか、僕は知らない。僕の目の前にあるノートパソコンを組み立てた労働者が、労働基準法が守られた職場で働いてたのか、僕は知らない。蓄電池に使われるレアメタルが日給2ドルで雇われた日雇い労働者が掘ったものなのか、僕は知らない。

どれだけの労働で、僕の快適な生活が成り立っているのか、僕には想像もつかない。そのくせ僕は「労働を撲滅できる」などと言っているのだ。もちろんそこに厳密な根拠などない。人は誰かに貢献することを欲望する。それはそうなのだけれど、1日12時間全く同じ作業を繰り返すことは欲望しない。だが、その作業を誰かに押し付けることなく、この社会を成り立たせることは可能であると考えるし、仮に今と全く同じ文明レベルでないとして、何とか成り立たせることはできるはずだ。そして、彼らの解放は僕たちの解放にもつながる。僕たちは事実上の奴隷から搾取して生活をしているわけだが、搾取しているだなんて感じていない。それはピンハネ競争の過激化のせいであり、誰もがピンハネをするために心をすり減らしている。労働の撲滅とはピンハネ競争の撲滅だ。きっと日々は楽しくなる。

僕と似たようなことを言っている人はインターネット上にはたくさんいる。だがその声は社会のしかるべき空間で響いていない。国会やワイドショーでブルシット・ジョブの存在について議論されることはない(議論されたとしても、「DX化で効率化せよ」などという的外れな議論に終始するのが関の山だろう。「DX化」という概念そのものがブルシット・ジョブの発生源の1つだというのに)。

僕はそういう議論を、象徴空間に響かせてみたい。ラカン風に言えば、アンチワーク哲学を大文字の他者に知らしめたいのだ。そしてその声をまとも書房という拡声器に乗せて広げていく。

思えば僕は少し日和っていた。リアルでこうした話をすることを避けがちだった。僕はソクラテスになろうと思う。ソクラテスは町を歩き、道行く人にいきなり哲学的議論を投げかけていたらしい(ソースは忘れた)。古びた常識を取り壊し、こうした議論を当たり前のものとするためには、「まず隗より始めよ」である。あらゆる人に議論を投げかけていこう。

ソクラテス宣言。議論は楽しいのだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!