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育児を経験した親は口を揃えて言う。ひとり暮らしの家事は楽園だったと。

※育児が大変であるという苦労自慢をこれから展開する。普通の大人なら苦労自慢なんてしないものである。でもあれだけ大変だったんだ。せめて自慢くらいさせてくれ。

育児の苦労というと、寝かしつけや授乳など、子育て行為そのものの苦労にフォーカスされがちである。しかし、僕は子育て行為そのものだけではなく、子どもがいるだけで、炊事・掃除・洗濯といったレギュラー家事の難易度もグッと上がるという点も重視すべきだと考えている。

はっきり伝えよう。例えばひとり暮らしの家事難易度が1だとすれば、夫婦2人と子ども1人の家庭の家事難易度は5にも10にもなる。

忘れがちなのだが、大人は20年以上も生活の実務経験を積んできた存在なのだ。できるだけ部屋や服を汚さないようなトイレの仕方や、食事の取り方、できるだけ散らかさない暮らし方を、多かれ少なかれ弁えている。

例えば大人の場合。あまりにも遠く離れたスープをスプーンで掬おうとすると、途中でこぼしてテーブルを汚す可能性が高まるだけではなく、途中にあるサラダのドレッシングが袖に付着する可能性も高まる上に、煮物取り分け用の菜箸を転がして床に落としてしまう可能性、無理な姿勢によりコップをひっくり返す可能性があることを、即座に理解する。

だから大人は、あらかじめスープを取り寄せるか、人に頼んで取り寄せてもらうかして、リスクを軽減する。

これらのスキルをどのように習得したのかはもはや覚えていない。だが「遠くのスープを掬おうとしたらこぼれるから、近くに寄せてから飲むのだよ」と一言注意されただけで、即座に学習する子どもなどこの世界に1人たりとも存在しないことは明らかだ。

何度も何度もスープをこぼし、ドレッシングで袖を汚し、箸を床に落とし、コップをひっくり返した果てに、人は「できるだけ汚さない食事方法」を学習する。

桜井翔が良いことを言っていた。

失敗からしか何一つ学べず

嵐『Believe』

つまりこの過程は必要な過程なのだ。とはいえ、失敗の尻拭いをするのは親である

何度も何度もテーブルを拭き、床を拭き、子どもを着替えさせ、洗濯する(あまりの頻度に僕は、「食事とは子どもに与えるのではなく、床に与えている」とか「子どもが着用しているのは服ではなく、雑巾である」と自己暗示をかけて精神の健康を保つようになった)。後日、掃除機をかけていたら死角になって拭き取れていなかった汚れがパリパリにこべりついていたり、カラカラになった謎の粉が床中に撒き散らされていたりすることにも気づく。子どもが成長するまで、そんな苦労と付き合い続けなければならないのだ。

ちなみに言えば、掃除機をかけるのも簡単ではない。なぜなら、床中に子どもが好き放題おもちゃを散らかしているからだ。

おもちゃといってもクマのぬいぐるみのようなものを想像してはいけない。ビリビリに破かれた謎のお菓子の箱、拾ってきたどんぐりや葉っぱの破片、小さい電車のおもちゃからぽろっととれた謎のパーツ、ビー玉、レゴの人形の片腕、幼稚園で作ってきたトイレットペーパーの芯と折り紙を引っ付けただけの謎のオブジェ、こういった物がやたらめったらと散らばっている。ぬいぐるみを拾っておもちゃ箱に放り込めばいいという単純な話ではないのだ

「捨てて良い?」などと聞いてはいけない。「ダメ」と言われるに決まっているからだ。リスクを冒してこっそり捨てるか、収納場所を決めるかしなければならない。もちろん、新しいおもちゃ箱を用意しても無駄である。それは数日のうちにいっぱいになり、また新たなおもちゃ箱が必要となるからだ。

収納に困るのはおもちゃだけではない。子どもは成長フェーズに合わせて様々なものを必要とするだけではなく、様々なものを必要としなくなる。サイズが合わなくなったベビーベッドやベビーサークル。もう見向きもされない絵本。合わなかった謎の試供品。小さくなってしまった服や靴。結局使わなかったオムツ変えシート。飲み終わらなかった薬。好みじゃなかったお菓子。人からもらったものもあるし、いつ次の子どもが生まれたり、親戚に子どもができたりするかわからないため、捨てるに捨てられないものは多い

それらの収納場所を決めては、その収納場所通りに片付けられなくてイライラし、さらなる収納場所を用意するという地獄のイタチごっこが始まる。幸い、我が家には地下室が存在していて、核廃棄物のように段ボールに詰め込んでは地下に放り投げることでその場を凌いでいる。だが、満足な収納がない家庭の惨状は、想像したくもない。

整理整頓ができていれば、掃除は9割終わっている。これが僕の持論である。裏を返せば、子どもがいる限り、永遠に掃除は終わらない。そこにあるのは果てしない妥協のみである。

そして、忘れてはならないことがある。せっせと部屋を片付けていても、子どもが「みてー」と迫ってきたり、「オギャー」と泣いたり、妨害が入れば直ちにそちらを構わなければならず、頻繁に優先タスクを切り替えなければならないのだ。マルチタスクが非行率になりがちであることは周知の事実だろう。

作業量は跳ね上がり、考えなければならないことも増え、作業に集中できる時間も減る。子どもが増えるだけでこれほどまでに難易度が上がるのだ。

実を言うと僕はかなり綺麗好きである。一人暮らしをしていた頃は「便器だって舐められる」と豪語するほど、部屋をピカピカに保っていた。しかし、そのために必要な労力はさほど大きくなかった。部屋に存在するあらゆるものは、あらかじめ決められた場所に配置されていて、掃除するのは週に1回で済んでいた。

ところが今や、毎日子どもが寝静まった後に整理整頓し、掃除機は週に2回以上かけているが、次の日にはもう部屋は散らかり汚れている。

一人暮らしをしていた頃は「家事なんて楽勝」と鼻高々であった。しかし、今ならわかる。一人暮らしの家事は、家事ではなかった。あれはチュートリアルにすぎない。

結婚したくてもできない人。子どもが欲しくてもできない人。そういう人からすれば、マウントだとか、「自分で子どもを産むという選択をしたのだから自己責任だ」とか、そんなふうに思うかも知れない。

でも、繰り返しになるが言わせてほしい。これだけ苦労しているんだ。せめて自慢くらいさせてくれ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!