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クソどうでもいい理論シリーズその1 〜酢豚にパイナップルを入れるべき理由〜

「酢豚にパイナップルとか、あり得へんやろwww」という感覚は正常だ。しかし、その感覚が正常であればあるほど、酢豚にパイナップルを入れるべきであるという主張は正当化される。

どういうことかを説明しよう。

普通に考えれば、醤油や酢やらで味付けされた肉料理にフルーツを入れることはありえない。料理のセオリーに反する行為であるように思える。しかし、それでも「酢豚にパイナップル」が定着している理由に注目しよう。

きっと酢豚の黎明期には、ブドウを入れた人もいたはずだし、林檎を試した人もいるだろう。しかし、フルーツ群雄割拠の時代を乗り越えて現代まで生き抜いたのは、ブドウでも林檎でもなくパイナップルである。これは紛れもない事実だ。

しかし、常識的に考えれば、あり得ない組み合わせなのだ。食わず嫌いする人もいただろうし、「合うはずがない」という先入観が強すぎて嫌っている人もいるだろう。それでも尚、王者としての確固たる地位を我が物にしているのだ。それは、単に「酢豚とパイナップルが合う」というだけでは説明がつかない。その程度の「合う」であれば、ネガティブな反応によって即座に打ち消されてしまうだろうからだ。

ネガティブな反応を打ち消してあまりあるほどの、常識外れなほどの「合う」がなければ、パイナップルの今の地位はありえない。つまり、パイナップルは酢豚の神に選ばれたフルーツだと考えなければ、全ての辻褄が合わないのだ。

故に、「酢豚にパイナップルとか、あり得へんやろwww」と人々が思っていることが証明されるたびに、同時に酢豚とパイナップルの組み合わせが至高であることが証明される。

そして、ここまで力説してきたが、僕は酢豚にパイナップルが入っていようが、入っていまいが、どっちでもいい。クソどうでもいい理論を垂れ流したかっただけだ。

noteに書くほどのことではないし、誰かに話すほどのことでもないけれど、ぶちまけたい。そんな小噺もシリーズ化してしまえば、書けるんじゃないかと思う。シリーズ化とは、習慣化みたいなもので、罪悪感を薄れさせる効果があるのだ。「つまらなくても知りませんよ?ルールに則っただけですよ?」という顔ができる。実際、ルールを作ったのは僕なのだけれど。

縛りやテーマがあって方が人は創造的になれるというのは有名な話だ。あえて自縄自縛してnoteを書いた方がいいこともある。

というわけで、クソどうでもいい理論シリーズ。開幕(もしかしたら、1週打ち切りになるかもしれない。そうなったらごめんねごめんねー)。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!