『白蛇:縁起』を観て

SnowManの『由縁』がスクリーンで聴きたかったのと、SnowManの佐久間の声優っぷりを堪能したくて、ノリで観に行った。なので、正直あんまり期待していなかったが、めちゃくちゃ面白かった。


ストーリーは平凡っちゃあ平凡

ストーリー自体はよくあるボーイミーツガールテイストのバトル冒険活劇を中華仕立てにしたというもので、目新しくはない。

だが、面白いストーリーなんて、いいメロディみたいなもので、ある程度出尽くしているだろう。ならば、色んなところから借りてきて組み合わせていてもいいじゃないか。米津玄師だって、そんなスタイルだ。

実際に、「この場面、どっかで観たことあるなぁ」という感覚には何度も陥った。主人公とヒロインの名前と舞台設定は明らかに『千と千尋の神隠し』を意識しているし、『君の名は』も間違いなくパロっている。他にも随所随所に少年ジャンプ感やディズニー感を感じさせる要素もあったし、見逃しているだけで他にもあるのかもしれない。

最近は『ホモ・ルーデンス』を読んだせいで、なんでもかんでも「遊び」という解釈をしてしまう病気にかかってしまったが、その観点から考えれば、こうやって引用していくことには『白蛇:縁起』も「アニメの伝統」という遊びの一員であるということを観客に納得させる効果があるのだと思う。

新しすぎるものを観るのは、なかなかしんどい。文脈を踏まえているからこそ、何も考えずに楽しめるのだろうか。


反国家的描写

中国人は国家を信用しない傾向だと聞いたことがある。そのスタンスは映画の中にも滲み出ていたというのは、僕の思い違いだろうか?

僕は、なんでもかんでもアナキズムと結びつける病気にかかっているが、この病気にかかっていない人が観ても、明らかにこの映画のスタンスは「反国家」だ。

そりゃあもちろん中国共産党を直接的に批判する訳ではないが、この世界に存在する架空の国家は、税金を盗み取り、それを戦争で正当化するだけの「略奪者」にしか見えなかった。

主人公も国家に対して「税金を取るだけとって、なにもしない」的な批判をして、国家から飛び出しているし、少なくとも国家をポジティブに捉える映画ではない。

そういえば考えたことはなかったけど、ファンタジーモノのうち、国家をポジティブに捉えるものと、ネガティブに捉えるもの、どっちが多いのだろうか?

わからないけれど、『白蛇』の設定も、そんなに見慣れないものだとは感じなかった。恐らく、ファンタジーの世界の中なら、アナキズムはお馴染みなわけだ。

まぁ、現実世界なら、国家を否定するにはもう少し葛藤があるだろう。この手のフィクションでは、たまたま出会った女の子のために、主人公が国家を飛び抜けて自分の人生を棒に振るようなことも当たり前に行われているが、現実世界でそんなことをしようと思ったら両親や親族に懇々と説教された後に、思いとどまるのが普通だ。


まとめると

あまり面白さをアピールできなかったが、面白かったのだよ。伝われ! この想い!

中華アニメをもっと観たい気持ちになってきた。豊かな国には文化が育つというのはよく言われる。中国もここ10年20年で豊かになって、文化が育ったのか。それとも豊かになったから、他の国々がその文化を否定できなくなったのか。たぶん両方だと思うが、面白い作品が世界から生まれるのは良いことだ。存分に楽しもうと思う。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!