アルミ鍋にたっぷりの砂糖を入れて、シャネルのバッグを煮詰めよう

アルミはかつて銀よりも貴重だったそうな。ナポレオン3世は重要な客にはアルミ製の食器を出し、並の客には銀の食器を出したらしい。今ではアルミ缶はそこら中に転がっている。同じように、かつて金と同じくらいの価値があった胡椒は、業務スーパーで1キロ2000円で買うことができる。砂糖だって似たようなものだ(それでいて、砂糖は貧民の象徴になって、アフリカの農民が食い散らかしていたキヌアが高級食品扱いを受けるようになって、訳がわからないよね)。

大富豪の気分になりたければ、札束のシャワーを降らせるように、アルミホイルと胡椒と砂糖の雨を降らせてみるといいかもしれない。ナポレオン3世に想いを馳せながら。

こういうことを考えていると、いまは高級品とされているものが、100年後200年後にゴミのような扱いを受けることもあるのだろうか?と考えずにはいられない。

一番ありふれた例はメモリーカードだろうか? 1GのUSBメモリーは20年前なら高級品だが、今はガラクタだ。ムーアの法則が続く限り、この傾向も続いていくのかもしれない。

他はどうだろうか? 高級品と言われて真っ先に思いつくのはシャネルのバッグだが、これは100年後には値段はどうなってるのだろうか?

アルミや胡椒の値段が下がったのは、大量生産できるようになったことが理由だが、これらは単に製造と物流の問題だった。シャネルのバッグと全く同じ性能のコピー品を作ることは造作もないが、だからといってシャネルの価値は下がらない。シャネルの価値は慎重に管理されたマーケティングの結果作られた人為的なものだからだ。

革命的な3Dプリンターでシャネルのバッグと全く同じものが作れるようになったとしても、シャネルの価値は下がらないのかもしれない。ならば、ブランド信仰はゴキブリのようにしぶとく生き残るのだろうか。

ナオミ・クラインじゃないけど、ブランドなんていらない。もっと確かなものが欲しいね。

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