他者の眼差しを恐れないで生きる

気づけば数多くの記事をnoteに投稿してきた。本の感想とか、とにかく思いついたことを記録することが目的であって、「他人の評価なんて気にしないぜ!」というスタンスでやってきたが、これだけ続けていると、いくらかでも読んでくれる人は増えてくるわけだ。

するとだんだん、読んでくれる人の目線が気になるようになってきた。「これはもしかするとフォローしてくれている人を失望させるんじゃないだろうか?」とか「誰かを傷つけてしまうんじゃないだろうか?」とか、そんなことだ。

僕のレベルでこれなのだ。米津玄師が曲を作るときのプレッシャーって半端ないんだろうなと思う。

ただ、米津玄師の場合もはやどんなことを書いても、きっとファンは肯定してくれると思う。「会いたい会いたい」みたいな歌詞を書いても「あえて陳腐な言葉で深い哲学を表現している‥素晴らしい歌詞だ‥」的な解釈がされるわけだ。その心理的安全性さえ得てしまえば、自由に振る舞えるのだろうけど、その境地に至るには一体どれだけの自信が必要だろうか?

これは、長年の付き合いのある友達との関係に似ている。多少の暴言を吐いてもコイツなら冗談で済むだろうという自信は、初対面の相手には抱きようがない。

じっくり関係を深めていって初めて、得られる感覚だ。

でも、ここで考え方を変えてみよう。

あえて期待通りの発言から外れてみるのだ。なんら他者の視線を気にせずに振る舞って、思った通りのことを発言してみるのだ。

卵が先じゃなくて、鶏を先にしてみるのだ。つまり、勝手に信頼関係が生まれるのではないだろうか?

他者を気にしないとは、他者を気にしない様を他者に見せつけること。(by僕)

この名言にはそんな意味が含まれていたのかもしれない。

思ってることを好き放題に言うことにする。ポリコレもブランディングも気にしない。

うんこうんこうんこ。

おっぱいおっぱいおっぱい。

おちんちん。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!