失敗作として、生きていく

3歳までにアレを教えなければならないとか、母乳育児じゃないと認知能力が何%下がるとか、小学生のうちにプログラミング思考を学ばなければならないとか、子育てには時限イベントがたくさんあるらしい。

まるでその子が、未来のザッカーバーグに成長しなければ、全ての育児が無駄になるかのようだ。

僕は脳科学者ではないけれど、脳はシナプスを張り巡らせた後に使わない回路をガンガン刈り込んでいくということは、なんとなく知っている。つまり、幼少期に脳を鍛えておかないと、大人になる頃にはプログラミング思考の回路も、認知能力の回路も、英語力の回路も、読解力の回路も、機能しなくなるらしい。そうなれば、Facebookを創業する可能性は、ほとんどなくなるだろう。

そういう観点からすれば、ほとんどの大人は失敗作だ。事実、僕たちはときたまハズレ馬券のような扱いを受けるし、自分をハズレ馬券だと思い込む。

だから、自分の子どもは絶対に失敗しないように、慎重に早期教育を施し、英語を学ばせ、プログラミングスクールに通わせる。そうしておけば、いつかFacebookを創業するはずだと信じて。

あるいは、Facebookの創業は難しいと考えていても、せめてFacebookに就職できる子どもを育てることを目標とする親もいるだろう。そのためにも、英語とプログラミングだ。それらを学んでおけば、白馬に乗った王子様ならぬ、白いテスラに乗ったグローバル企業のCEOが、子どもを迎えに来てくれるはずだから。

うん。馬鹿馬鹿しい。天下取っても二合半だ。

別に英語が話せなくても、認知能力がなくても、プログラミングができなくても、ないならないで別に生きていける。

ルフィは、腕がなくてもなんとかなるやろと思っている。見習いたい。

僕だって、英語も話せなければ、プログラミングもできない。別に頭も良くない。ただ、なんとなく生きている。

失敗作である自分を受け入れれば、なんとかする方法が見つかる。むしろ、失敗作だと思われているくらいの方が、他人の評価にさらされなくて済む。自由とは、他人から評価されないことを意味するのだ。

子育ても、そんなラフ&レディなやり方でやっていけばいいね。楽に行こう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!