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人生を豊かにする方法

妻と息子と娘は、親戚たちとピクニックに出かける予定で、僕は留守番。そんな日。

妻は朝から早起きしてサンドイッチを作っていた。1種類や2種類ではなく、ハムやレタスで作ったオーソドックスなものから、タルタルソースとウインナーを挟んだもの、家に余っていたブドウとミカンでフルーツサンドまで。

「みて、めっちゃ美味しそうじゃない?」

と、僕に嬉しそうに見せてくる。「おいしそうやん」と僕が言えば「1個昼ごはんに食べて」と残しておいてくれた(本当は僕は自分でピザを焼いて食べようと思っていたのだけれど、フルーツサンドを食べることにした)。

ピクニックは始まってもいないのに、妻は楽しそうに見える。まるで、もうピクニックが始まっているかのようだ。

いや、きっと妻にとってのピクニックはもう始まっているのだろう。

具材を考えて、買い物をして、パンをカットして、自分の能力をもってサンドイッチを作りながら「あ、そういえばみかんもブドウも余ってるからフルーツサンドにしてもいいかも」と思いついたままにもう1品用意する。味、ボリューム、見た目、器、ぜんぶにこだわって最高のお弁当を作り上げること。ここに彼女の幸福があったのだ。

そのどれもが彼女が自発的に選択した行為であり、彼女が培ってきたスキルは大いに発揮されつつ、気まぐれのエッセンスも含まれていて、その気まぐれは成功している。人間の最大の幸福は、恐らくこういう瞬間にある。

僕はこれを突き動かした衝動を「欲望」と呼んでいる。彼女はサンドイッチを作ることを欲望した。そして実際に作って、彼女は幸福になった。

しかし、一般にはサンドイッチを作ることに対して欲望という言葉は使用されない。「サンドイッチを作りたい」という言葉すらも、何か偽善的な、ひねくれた、あるいは特殊な職人気質のような印象がある。あたかも人はサンドイッチを作ることを自然と欲することはないかのようだ。

こういう世俗的欲望論に則れば、サンドイッチなどわざわざ手作りすることなど非行率極まりなく、コンビニで買って行けばいいという結論に至る。自炊したからと言って安上がりとは限らず、むしろコンビニで買った方が安い場合もあるのだ。それに彼女自身の時給も考慮し、損得を図ればコンビニに軍配があがるかもしれない。

では、仮に彼女が芝生にシートを敷いて、コンビニで買ってきただけのサンドイッチを食べていた方が、幸福だったのだろうか? サンドイッチを作る時間、Netflixで進撃の巨人のアニメでも観ていた方がよかったのだろうか?

そんなはずはない。彼女はサンドイッチを作る方が間違いなく幸福になれたはずだ。彼女はサンドイッチを作る時間を楽しみ、自分で作ったサンドイッチをみんなが食べることを楽しんだ。

僕の妻は比較的、合理計算に染まっていないタイプの人間だ。料理しようとする僕を止めて「ウーバーイーツでいいじゃない?」などと急に言い出すことはない。だからこそ、自分自身で幸福を掴み取ることができた。

こういう生き方が、きっと人生を豊かにするのだと思う。

なんてことを書くと、「は? 買った方が早いやろ? 丁寧な暮らしwwww」的な反応が返ってきがちである。その度に思うのだ。人間は「欲望」という言葉の使い道を間違っているのではないかと。

おっパブに行くことや、二郎系ラーメンを食べること、パチンコに行くことは人が自然に欲望することだと見做される。しかし一方、飲み会の帰りで先輩におっパブへ誘われても、家に帰ってアンリ・ベルクソンを読みたい気分のときもある。こういう気分は大抵、理解されることは少ない。

なぜこいつは欲望を抑えてまで、難解な哲学書を紐解くという苦行に勤しむのか?というわけだ。実際、僕にとっては難解な哲学書こそが欲望の対象になっているというのに、そのことが理解できないのだろう。

だからこそ、欲望という言葉をもっと広く使うべきだろう。サンドイッチを作ることも、アンリ・ベルクソンを読むことも、noteを書くことも、畑を耕すことも、料理することも、それ自体が僕にとってはおっパブより追求する価値のある欲望の対象なのだ。

無理して丁寧な暮らしをしているわけでも、「これからの時代は哲学を学ばないビジネスパーソンはAIに淘汰される」などという危機感から哲学書を読んでいるわけでも、「毎日アウトプットすることでインプットが定着する!」という意識でnoteを書いているわけでもない。ただ欲望に従っているのだ。

ただ欲望に従うこと。それが「労働なき世界」である。僕や妻は、ある意味で、「労働なき世界」を部分的に体現していると言える。それを毎日にしたいし、全人類がそうなればいいと思っている。全人類が幸福になるためには、無料でサービスが提供されるおっパブは必要ない。ただ、雑多で訳のわからない欲望のままに生きられればいいのである。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!