言うほど「お金を稼ぐのは悪いこと」とかいう風潮なんかあるか?

金を稼ぐことを悪いことと考えている人なんて僕は見たことがない。それなのになぜかこういう記事をよく見かける。

言うほどそんな風潮あるか? みんな金稼ぐことばっかり考えてるやろ?

稼げる仕事してたら立派やと言われるし、株買ってたら「ちゃんと考えてて偉いなぁ」と言われるし、誰に聞いても金を稼ぐことは肯定的に捉えられてるやろと思うのだがどうなのだろうか?

まぁ、実在しない敵を馬鹿にするのは楽しいから仕方ないね。こういう都合のいい仮想敵を生み出すお人形遊びって、僕もたまにやっちゃう。途方もない馬鹿を想定して貶めてシコると気持ちいい。

とはいえ、僕は金を稼ぐことは悪いことだと思っているけどね。

今の社会で金を稼ぐ効率的な方法は金融とかマーケティングとかマネジメントとか他人を搾取するやり方しかないので、金を稼ぐことは悪いことだと思っている。

僕は価値を生み出すことを否定しているのではなくて、金を稼げるかどうかと価値を生み出しているかどうかが今の社会では無関係になっていると言っている。片っ端から商標権を抑えて金を稼ぐ人や、PS5の転売ヤー、出会い系の釣り広告に僕をクリックさせようとするマーケッター、投資銀行、ピンハネ人材派遣会社、助成金ヤクザ、あなたの嫌いな上司は、近所のカフェの店員さんよりも素晴らしい価値を生み出しているかを考えてみればいい。うん、生み出していないどころか、マイナスの価値ばかり産んでいる。

だからといって僕はエッセンシャルワーカーの給料が上がれば全てが解決するとは思っていない。仮に何らかの革命が起きて、生み出した価値=収入という社会になったとしても、その社会も嫌だ。そもそも僕は貨幣で労働を数値化することを否定している。数値化されない無償の贈与の応酬を基盤にして、社会的なあれこれを作り直すことが可能だと思っているし、それが理想的だと思っている。

ここで物々交換が云々という経済学神話で反論されるとうんざりするので、やめてほしいね。

金とは負債の尺度であり、他人を搾取する権力であり、モラルを破壊する諸悪の根源だ。国家の暴力が生み出したおままごとの道具をありがる必要はない。

そりゃあ僕も金の非人格的なやりとりが嫌いではない。全てを人格的なやりとりに還元するのは、コミュ障の僕にはきつい。それでもあまりにもこのやり方にはデメリットが大きすぎる。エビの目をちょん切ったり、母豚を死ぬまで箱に閉じ込めたり、コンゴの黒人に素手でコバルトを掘らせる羽目になるこの金というシステムは端的に馬鹿馬鹿しい。コミュ障のリハビリを経てでも贈与経済に移行したい。

金稼ぎは悪いことだ。そんな風潮なんてないけど僕は唱え続けるぞ。金はクソだし、汚いし、嫌いだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!