計画とは、中二病の妄想なのかもしれない

1年前の僕は、35年もの間ローンを払いながら住み続けることになる家を探していた。

その頃は、農業をしたいなんて考えもしなかったし、お金を使わない生活をしたいという願望を持つなんて予想だにしていなかった。

要するに、この一年で考え方がガラッと変わったのだ。

いま、改めて家を探そうとするならば、もっと農業向きの家を探していただろうし、そもそも家を買うという選択すらしていなかったかもしれない。

でも、もしかしたら1年後の僕は、農業への興味を一切失っている可能性だってある。

計画とは、なんと無意味なんだろう。

現実は複雑で、いろんな人がいろんなことを考える。人は常に合理的なわけでもないし、予測不可能なことを繰り返す。一貫性なんてものは期待できるはずもない。

人が常に合理的だと考えるのは、合理的ではない。(by僕)

しかし、人の行動は未来永劫変わらず予測可能であるかのように、住宅ローンや事業計画書、親戚のおじさんたちは振る舞っている。

なぜだろうか?

多分僕たちが中二病だからだ。

僕たちは、全てを事前に予測して、全てコントロールするような天才に中二病的な憧れを抱きがちだ。

残念ながら僕たちは、夜神月にはなれない。諸葛孔明にも奈良シカマルにもなれない。

10秒先のことすら予測できない、人間的で、あまりにも人間的な存在だ。

自分が1年後に何を考えているかすら予測できないのだから、他人を予測するなんていかに馬鹿馬鹿しいかわける。

中二病のおじさんたちや国家や上司や株主みたいな人たちは計画を立てがちだけれど、そんなものは初めから現実味のない妄想だ。無視すればいいのさ。

ベッジさんの名言を思い出そう。

この発言をしたときベッジさんは、入念な計画を台無しにされながらも、最終的に上手く対処していた。

未来なんて見なくていい。その場しのぎで適当に生きてやればいいさ。

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